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2013年度大学入試センター試験
試験日:2013年1月19日・20日

特集

絶望の中、再始動のきっかけに 将棋棋士・瀬川晶司さん

写真:瀬川晶司さん:大学進学を経て「世界が広がった」と語る瀬川晶司さん=東京・千駄ケ谷の将棋会館拡大大学進学を経て「世界が広がった」と語る瀬川晶司さん=東京・千駄ケ谷の将棋会館

写真:瀬川晶司さん:サラリーマンからプロ棋士への夢を実現した瀬川晶司さんは、「あきらめない姿勢・情熱」が評価され、NECと所属契約を結んでいる=2011年12月16日、東京・千駄ケ谷の将棋会館拡大サラリーマンからプロ棋士への夢を実現した瀬川晶司さんは、「あきらめない姿勢・情熱」が評価され、NECと所属契約を結んでいる=2011年12月16日、東京・千駄ケ谷の将棋会館

 僕の大学生活は27歳から始まりました。プロ棋士になる夢を26歳で絶たれ、12年間修業してきたことが全部無駄になり、何をやっていいか分からなかったんです。同級生はみんな大学を出て働いていたし、普通は就職するんでしょうけど……。大学生というものにあこがれがあったので、年はとっていたけど、どうせもう人生遅れているから、いいかなと。大学を卒業して就職もしましたが、再びプロ棋士への夢を追いかけられたのも、大学での貴重な経験があったからだと思っています。

■学歴関係ない世界へ

 もともとは大学に行くつもりはなかったんです。プロ棋士になるのに学歴は関係ないし。中学3年生のときに棋士養成機関の「奨励会」に入りましたが、まわりには高校さえ行かない人も多かった。親から「行ってくれ」と言われたので、行ったんです。卒業後は将棋一本で行くつもりだったので、受験勉強はしていません。同級生からは「瀬川はいいよな」とよく言われました。

 高校卒業と同時に東京で一人暮らしを始め、毎日が将棋漬け。多いときには1日に10時間勉強し、22歳でプロ一歩手前の三段まで上がったんですが、最終関門の「三段リーグ」を抜けられず、年齢制限で退会しました。

 挫折感は深く、横浜の実家に戻っても何をやっていいか分からない。3、4カ月はあっという間です。弁護士を目指して司法試験を受けようと思ったのは、何か目標が欲しかったんだと思います。毎日、図書館に通って勉強しました。いわゆる司法試験と呼ばれるのは2次試験のことで、1次試験は一般教養です。大学を卒業すれば、その1次が免除されると知って大学受験へ方針転換。入試まであまり時間はありませんでしたが、司法試験の勉強が役に立ったこともあり、自宅に近い神奈川大学第二法学部を受けて合格しました。

■大学進学経て自信取り戻す

 入学した時は、自分は年上の方なので、引け目みたいなものを感じていました。でも自分が思うほどまわりは気にしていない。27歳の自分より年上も何人かいたし、働きながら学ぶ人も多かった。年齢はたいしたことはないと思えるようになりました。

 大学の授業は1日2、3コマで、夕方から大学に行き、夜10時ごろ帰宅する毎日。土曜日の方が授業が多いんです。1日のコマ数が少ないので、毎日行かないといけない。2部は入るのはそんなに難しくないんですが、卒業するのは大変。大学生ってこんなにまじめに勉強するんだって思いましたね。

 学費や小遣いはアルバイトで稼ぎました。スーパーに朝早く届いた食品を各売り場に届ける。朝7時から昼まで働いて、少し休んで大学に行く。ほかにも中華街でウエーターをやったり、日雇いの仕事をやったり、塾で採点したり、短期ではいろいろ経験しました。借りた奨学金は今でも返していますが、本当に感謝しています。

 一生の友達もできました。奨励会では、仲がよくても、いつ戦うか分からないので、本当の意味で腹の内を見せられない。大学にはいろんな考え方の人がいて、将棋の世界しか知らなかった僕にとっては何もかもが新鮮でした。奨励会を退会したときは絶望していましたが、何とかなるんじゃないかと自信が生まれてきた。将棋を再開したのもこのころです。負けるのを怖がっていた奨励会時代と違って、のびのび指せるようになりました。

 将棋とは関係のない大学時代の様々な経験が、逆に将棋の面白さをあらためて気づかせてくれた。大学時代はプロ棋士となった現在につながる貴重な時間でした。(聞き手・村上耕司)

     ◇

 せがわ・しょうじ 1970年横浜市生まれ。中学3年で将棋棋士養成機関の「奨励会」に入会。年齢制限のため26歳で退会となるも、その後、大学に入り、在学中からアマチュアとして活躍した。就職してからも、特別出場したプロ公式戦でトップ棋士を破るなど快進撃を見せ、7割3分9厘(17勝6敗)の高勝率を挙げた。当時の制度では、プロへの道は閉ざされていたが、嘆願書を受けた日本将棋連盟が2005年、61年ぶりにプロ編入試験を実施し、それに合格。35歳のサラリーマンから棋士への転身は大きな話題となった。

 (初出・2011年12月29日asahi.com。内容は掲載時点の事実に基いています)

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