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2013年度大学入試センター試験
試験日:2013年1月19日・20日

特集

選んだ道を突き進んで バイオリニスト・千住真理子さん

好きなものを鷲掴みする人生 千住真理子さんのメッセージ

写真:千住真理子さん:バイオリニストの千住真理子さん=東京・赤坂、山口敦撮影拡大バイオリニストの千住真理子さん=東京・赤坂、山口敦撮影

写真:千住真理子さん:東日本大震災後は各地の復興支援コンサートに参加するほか、被災地にも足を運んで演奏している=山口敦撮影拡大東日本大震災後は各地の復興支援コンサートに参加するほか、被災地にも足を運んで演奏している=山口敦撮影

 プロの演奏家として活動を始めたのが小学6年生の終わり。中学・高校の頃には平均月5回ぐらい演奏会があり、学校と演奏活動の両立がものすごく大変でした。小学校から通っていた慶応は進級についてけっこう厳しかったので、基準をクリアできる日数を計算してぎりぎりまで欠席したり。今考えれば、あれは「両立」とは言えないかな(笑)。

 進学を考える時期、私自身は音楽学校へ進むつもりでずっと準備もしていたんです。でも、師事していた江藤俊哉先生は「もう活躍しているんだし、音楽学校に入ってもやることがないと思うよ。どうしても行きたければ一度大学を出てからいらっしゃい」と。それなら、いろいろな勉強をして人間的な要素を深めることも演奏に役立つだろうと、大きな理想をもって慶応の哲学科に進みました。

 ところが理想と現実とは大違い。音楽界から思いもかけない拒否反応があったのです。

■四面楚歌 一度は楽器を手放す

 「プロだと思っていたのに、アマチュアですか」と軽視され、ひとには言えないような大変なこともたくさん……。「専門の学校で勉強しなければ音楽家としての免許がない」みたいな空気があったのだと思います。

 音大に通っていない私は「派閥」に属していないというのか、バックアップしてくれる人が誰もいないことがよくわかりました。四面楚歌。「こんなことなら外国の音楽学校にでも入っていればよかった」とか「両親が音楽の世界を知らないとこういうことになるんだわ」と親のせいにしてみたりとか(笑)。後悔ばっかり。

 ステージに立っても、また周りに何か言われるんじゃないかと疑心暗鬼になって、自由に演奏できなくなる。そうすると精神的にも抑圧された演奏だから、けっしてよい結果が出ず、また悩む。どんどん悪循環に陥って、二十歳のときについに挫折しました。「もう捨てちゃっていいから」。母にバイオリンを渡して、いっさい楽器に触るのをやめたのです。

 バイオリンが嫌いになったわけではないから、つらかった。「忘れなきゃ」「もう関係ないんだ」と自分に言い聞かせました。ところがどんなに忘れようとしても、すべてのことをバイオリンに結びつけて考えてしまうんですね。友だちに誘われてスキーに行っても、ターンの体重移動を教わると「なるほど、演奏するときもちょっと足を曲げて体重を移動したほうが弾きやすいな」とちょっと考えてから、「あ、やめたんだ」とか。

■ボランティアで気づいた原点

 そんなあるとき、ホスピスでボランティアで演奏する機会をいただきました。2歳でバイオリンを始めてから、長い期間練習しなかった経験などないので、「練習しないと弾けなくなるんだ」と初めて気づいたような、たぶんひどい演奏だったのですが……。

 でも患者さんたちの前で演奏してわかったのは、誰もプロの技術や完成度など求めていない、ということ。驚きました。皆さんが聴きたいのは音のぬくもりだったのです。とても喜んでくださった。音楽大学に行かなかったコンプレックスのあまり、後ろ指を差されないような完璧な演奏を追い求めて見落としていた、音楽の原点に気づかされた思いでした。人の魂を動かすことができるのが本当の音楽なんだ、と。

 「私がやりたかったのは、これよ!」。もう一度バイオリンに戻ってみよう。昔の弾き方に戻るのではなく、本当に自分がいいと思う音楽がやりたい。音楽の世界に受け入れられなくても、それはそれで構わないじゃないか。結局、この体験が復帰するきっかけになりました。2年ほどの空白を経て、大学卒業の頃からステージ活動を徐々に再開しました。

■目標とステップの違い、客観視を

 受験生の皆さんにとっての入学試験は、私たちがコンクールに挑むのと似ていると思います。コンクールは将来演奏家になるためのステップなのに、そこをゴールと錯覚してしまうことも少なくない。実際、コンクールのための弾き方というのがあって、あまりやりすぎると普通の弾き方に戻れなくなることもあるんですね。

 受験でも、試験に合格するためのノウハウがいろいろあるでしょう。でもそれは、人生の目標に向かうための勉強とはちょっとずれがあるのではないでしょうか。合格のため精いっぱいのエネルギーを費やすのは大切ですが、そのずれを、常に客観的に俯瞰(ふかん)して見きわめることが、私は大切だと思います。

 バイオリニストとしての挫折を経験した私自身の反省を踏まえても、若い時期、選んだことに突っ走るのは一番の正解だと思います。18歳の自分の選択は、あとから見て必ずしも正しい道ではないかもしれませんが、そのとき思い切りやらなかったら、きっといつか他人のせいにしてしまうし、そこからは何もよいものは生まれません。間違っているかもしれないと恐れるよりも、まずは突き進んで! 頑張ってください。

■震災後の願いと祈りを音に

 昨秋、2枚のアルバムをリリースしました。「日本のうた」と「アヴェ・マリア」。どちらも昨年3月の大震災の体験が深く関わっています。

 震災のあと、私は自分が日本人であることを強く意識するようになりました。それまで、西洋の音楽であるクラシックを演奏する私は、日本人であることにコンプレックスを感じ、ふと西洋人になりたいと思う瞬間さえありました。でも私は日本人で、日本を愛しています。あらためて日本の歌を聴いたとき、なぜここに誇りを持たないんだろうと思うようになったのです。日本のクラシック演奏家として、日本の歌を堂々と世界中に広めていきたい、この素晴らしいメロディーを世界中に知ってほしいと思っています。

 「アヴェ・マリア」は、逆にヨーロッパの音楽の側からの平和と復興への祈りです。昨年春以降、海外の方々が日本を応援してくださる演奏会で、さまざまな「アヴェ・マリア」がたびたび演奏されました。クラシック音楽の中で「アヴェ・マリア」は「祈り」を代表する音楽なのです。

 だからこの2枚は、私の中の二面、日本人であることと、クラシックの音楽家であることをそれぞれに意識したアルバムです。昨年11月にはボランティア活動として、これらの曲を中心に岩手県や宮城県を訪れました。これからも何度でも、ずっと出かけようと思っています。私の演奏を必要としてくださる被災地の方がいらっしゃるなら、どうぞお声をかけてください。(聞き手・音楽ライター 宮本明)

     ◇

 せんじゅ・まりこ 1975年1月、NHK交響楽団と共演して12歳でプロデビュー。77年、第46回日本音楽コンクールで最年少の15歳で優勝。慶応義塾大学文学部哲学科卒業。日本を代表するバイオリン奏者として活躍する一方、テレビの報道番組キャスターや東大生産技術研究所でのホール音響研究への参加など、多方面の活動に挑む。アルバム多数のほか「聞いて、バイオリンの詩」「歌って、バイオリンの詩2」(ともに時事通信社)など著作も多い。

 (初出・2012年01月13日asahi.com。内容は掲載時点の事実に基いています)

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