メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

11月14日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

新着記事一覧へ

このエントリーをはてなブックマークに追加
mixiチェック
2013年度大学入試センター試験
試験日:2013年1月19日・20日

特集

「思いは必ず実現する」元プロ野球選手・小宮山悟さん

【動画】小宮山さんから受験生のみなさんへ=瀬戸口翼撮影

写真:小宮山悟さん:小宮山悟さんからの受験生へのメッセージボールには「粉骨砕身」と書かれていた=東京都港区、瀬戸口翼撮影拡大小宮山悟さんからの受験生へのメッセージボールには「粉骨砕身」と書かれていた=東京都港区、瀬戸口翼撮影

写真:小宮山悟さん:1987年11月1日、明治神宮球場であった東京六大学野球秋季リーグの慶大―早大2回戦。マウンドに立った小宮山さんは、慶大打線を完封した拡大1987年11月1日、明治神宮球場であった東京六大学野球秋季リーグの慶大―早大2回戦。マウンドに立った小宮山さんは、慶大打線を完封した

写真:小宮山悟さん:ロッテ時代の小宮山さん。ちみつな投球で「投げる精密機械」などと評された。通算成績は117勝144敗4セーブ=RAM SPORTS提供拡大ロッテ時代の小宮山さん。ちみつな投球で「投げる精密機械」などと評された。通算成績は117勝144敗4セーブ=RAM SPORTS提供

写真:小宮山悟さん:2002年、大リーグのメッツでプレーする小宮山さん。翌03年は所属球団が決まらず、評論家をしながら1年間浪人生活を送った。「選手としては十分すぎるほどやってきたので、『引退になっても、まあいい』と思っていた」=RAM SPORTS提供拡大2002年、大リーグのメッツでプレーする小宮山さん。翌03年は所属球団が決まらず、評論家をしながら1年間浪人生活を送った。「選手としては十分すぎるほどやってきたので、『引退になっても、まあいい』と思っていた」=RAM SPORTS提供

写真:小宮山悟さん:元プロ野球選手の小宮山悟さん。「努力は必ず報われます。がんばって下さい」=東京都港区、瀬戸口翼撮影拡大元プロ野球選手の小宮山悟さん。「努力は必ず報われます。がんばって下さい」=東京都港区、瀬戸口翼撮影

写真:小宮山悟さん:元プロ野球選手の小宮山悟さん=東京都港区、瀬戸口翼撮影拡大元プロ野球選手の小宮山悟さん=東京都港区、瀬戸口翼撮影

 2浪して早稲田大へ入りました。志望したのは高校のころ、たまたまテレビで六大学野球を見たのがきっかけです。

 甲子園で活躍した、そうそうたるメンバーぞろいの法政を相手に、ほとんど無名選手ばかりの早稲田が勝ち、優勝への王手をかけた試合でした。その2、3週間後には、早稲田の優勝が決まった早慶戦の中継があり、「何がなんでも早慶どちらかで野球をやりたい」と思うようになりました。

 先生に相談すると「おまえは慶応じゃない。早稲田の雰囲気だ」と。今は、心から感謝しています。おかげで「これ以上、望むものはない」といえる充実した人生が待ち受けていたのですから。

 浪人1年目は、なめた予備校生でした。勉強していないのに、翌年の入試で通らないなんて想像もしなかった。2年目も妙に余裕があって、9月の模試で早稲田の合格可能性が50%に満たなくても、まだ、あぐらをかいていました。

 「これはやばい!」と悟ったのは、11月23日の模試。そこそこ出来たと思ったのに、志願した大学の合格可能性がすべて20%以下。その瞬間、尻に火がついて、以後2カ月間は死ぬほど勉強しました。

 1、2年目の入試当日は、高田馬場駅から大学まで行きました。3年目は地下鉄で早稲田駅まで行き、「過去2回とは違うから大丈夫」と自分に言い聞かせて本番に臨みました。

 とにかく必死でした。でも、手応えは正直なかった。だから合格が発表された時、「間違いかもしれないから、取り消される前に入学手続きを済ませてしまえ」と思ったぐらいです。昼休みで学部事務所の扉が閉まっていて、一人で焦りました。

 念願の早大野球部に入り、初めて憧れのユニホームに袖を通した時の興奮は忘れられません。ベンチ入りした1年生春の早慶戦で、試合前に外野でノックの球拾いをしていると、校旗入場が始まりました。応援合戦です。スタンドの上の方で大きな旗がふわーっと持ち上がり、下の方へ。それを見て、泣きそうになりました。すべてが報われた、と。

 大学卒業後、プロ野球の道を進むにあたって、「そんなに長くはできないだろうから、一瞬で燃え尽きても勝負する」と思っていました。僕は2浪しているので。でも、入団したロッテには“マサカリ投法”で知られる村田兆治さんがいらして、40代なのに、すごい球を投げていた。「1年でも長くプレーしたい」と気持ちが変わりました。

 ドラフト1位で多少天狗になっていたところもあったんですけど、プロの世界に身を置いて、「これはしゃれにならない」と気づきました。そこで“生き残るためのすべ”を考え、練習するようになりました。

 「コントロールがいい」というマスコミの評判もずいぶん活用させてもらいました。審判もそういう目で見ているし、打者も四球はないと、少ない球数でも打ちにくる。僕がストライクゾーンを外したのに「今のはストライクだろ!」って小芝居をして。相手の感覚を狂わせるためです。

 心の安定を保つことも大切にしました。例えば、登板日に自分の車で球場に向かう場合、どんなに混んでいても、いつも同じ料金所から乗る。ブルペンでの行動パターンも常に一緒。そうすれば、いつもと同じようにいい球を投げられるという自己暗示みたいなものです。こうして気持ちを落ち着かせて試合に臨みました。

 44歳で引退する直前は、ユニホーム姿で野球する日常が苦痛に感じることもあった。それぐらい、やり尽くした感覚だったので、選手でなくなった時はほっとしたところもありました。

 僕は2浪したから、早稲田大野球部で石井連蔵監督の指導を受けることができたし、プロ野球選手になれた。だから、最近の講演活動でも、「人生、何が起きるか分からない」「自分がこうしたいと思えば、必ず実現する」と声を大にして訴えています。

 プロ野球選手になりたければ「何がなんでもなるんだ」と思うこと。そうすれば絶対にかなう。万が一なれなかったら、それはあなた自身が「ひょっとしたら無理かも」と疑ったせいでしょう。

 受験生のみなさん、「何がなんでも」という思いがあれば必ず志望校に合格できます。世の中には、何回もチャレンジして、憧れの大学に入って幸せな人生を送る、という人物もいるわけです。がんばってください。(聞き手・伊勢剛)

     ◇

 こみやま・さとる 千葉県出身。47歳。芝浦工大柏高から早稲田大へ進学、ドラフト1位で90年にロッテへ入団した。1年目からローテーション入りし、エースとして活躍、ちみつな投球で知られた。横浜を経て、2002年は大リーグ・メッツでプレーした。04年にロッテに復帰し、09年に引退した。

 (初出・2013年01月15日朝日新聞デジタル。内容は掲載時点の事実に基いています)

注目コンテンツ

  • 写真

    【&BAZAAR】圧迫感にサヨナラ!

    快適な開放型イヤホン

  • 写真

    【&TRAVEL】美食も自炊も「地獄蒸し」で

    楽しいひとり温泉

  • 写真

    【&M】街を埋めつくすグラフィティ

    NYの“異様”な光景

  • 写真

    【&w】樹木希林さんの登場号に反響

    ほんやのほん

  • 写真

    好書好日宝塚の美、元スターが伝授

    ヅカファンの男性が試してみた

  • 写真

    WEBRONZA海を漂う魚の幼生の謎を追う

    今日の編集長おすすめ記事

  • 写真

    アエラスタイルマガジン山本編集長が語る選ぶべき靴

    ビジネスで最適な一足とは?<PR>

  • 写真

    T JAPANクリュッグの新しい愉しみ

    6代目当主オリヴィエに聞く

  • 写真

    GLOBE+検査は万能ではありません

    連載「英国のお医者さん」

  • 写真

    sippo野生化した猫も元飼い猫

    都内で「森ネコ」の飼い主探し

  • 働き方・就活

  • 転職情報 朝日求人ウェブ

学校最新情報