【動画】大木聖子さんから受験生へメッセージ=戸田拓撮影

写真・図版地震学者の大木聖子さん。2013年4月から慶大准教授になった=2013年12月19日、神奈川県藤沢市、戸田拓撮影

写真・図版1997年度センター試験の国語冊子の表紙

写真・図版ゼミに臨む大木聖子さん。学生の出身地で過去に起きた自然災害を調べて書き出すのが、この日の課題だった=2013年12月19日、神奈川県藤沢市、戸田拓撮影

写真・図版大木聖子さん。「女子アナみたいな先生。何でも相談できます」とゼミに所属する女子学生は言う=2013年12月19日、神奈川県藤沢市、戸田拓撮影

写真・図版ゼミの学生たちが教室のホワイトボードに描いた、出身地の自然災害の歴史=2013年12月19日、神奈川県藤沢市、戸田拓撮影

写真・図版大木聖子さんは昨年秋、伊豆大島に大きな被害をもたらした台風26号が上陸する前日にいち早く休講を判断し通知した。「コントロールできない自然現象が起きたら、すべてをキャンセルしていいという価値観をこそ学生たちに伝えたかった。定められたスケジュールにとらわれず、自分で柔軟に判断できる学生を育てたい」=2013年12月19日、神奈川県藤沢市、戸田拓撮影

写真・図版「地震学者って写真を撮られるときあまり笑顔をつくりませんね。責任感の強さがそうさせるのかも」と話す大木聖子さん=2013年12月19日、神奈川県藤沢市、戸田拓撮影

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 それまでの人生で一番の危機を迎えたのがセンター試験でした。苦手の国語で、答えるべき問題を間違えたのです。

 私の学年から新課程になり、問題冊子は旧課程受験者用もあって倍の厚さになっていました。選択科目も含めた組み合わせの多さに戸惑った受験生は多かったようです。そして私は国語で、志望する北大の受験に必要な「国語Ⅰ・Ⅱ」でなく、表紙をぱっとめくったページから始まる問題にとりかかってしまいました。「やさしいな、手応えいいぞ!」と解き進め、大問2に入って初めて欄外の「国語Ⅰ」の文字に気づいたのです。

 20分経ってました。ばーっと汗が噴き出し、試験会場が一回転したようなめまいに襲われました。

■「引き受ける」決断

 とっさに私は二つのことを決めました。ひとつは、塗ったマークを全部消すことはしないこと。結果として選択肢が同じだったらタイムロスになるから。そして、机の上の腕時計をひっくり返すこと。時間配分通りに解く訓練をしてきたけど、全部捨てる。できるところまでやる。そして、結果が5点でも10点でも、私だからこの状況でこの点が取れたと思おう、と自分に言い聞かせ、問題に最初から取り組みました。

 試験が終わった翌日、自室で答え合わせをしました。火事場のナントカだったのか、国語は200点満点の190点近く。ほっとしたあまり大声で泣き出した私を、両親が何事かと見に来たのを覚えています。

 「危機的状況で何を切り捨てるか」、今思えばそれを実践していたんですね。

 後日談があります。どんな手違いだったのか、卒業式後の謝恩会で生徒代表としてお礼の言葉を担当することを、当日の朝に伝えられました。演劇部などの出し物の最中にトイレにこもり、エチケット音のボタンを押しながら一度だけ練習して登壇。「今朝初めてこのスピーチの依頼を受けました。感謝の思いを短い時間では考えられず、十分なお礼は言えません。その代わり、この学校で学んできたからこそできたことを話します」と前置きして、同級生や父母を前にセンター試験のエピソードを披露しました。ピンチの渦中に、切り捨てるものは切り捨てて、その決断に自信を持って挑もうと思える自分を作ってくれたのは、大好きなこの学校です、と。

■進路は脳に聞こう

 「夢を持つ大事さを語ってください」とよく高校などに講演に呼ばれます。実はこういう考え方そのものに、私自身は疑問を抱いています。夢がモチベーションになるのならばいいけれど、一度決めた目標に縛られてもっと適性のある方向に進む機会を見逃している子がとても多くて、もったいないと思うからです。

 たとえば研究者を目指していた頃の私は、きのう解けなかった問題がきょう解けたというように、自分が日々グレードアップしていくことが何よりの喜びでした。こうした「自分の脳が喜びに感じること」に忠実に進んで、地震学者を目指していました。ところがある段階から、人命を救いたい、人の笑顔が見たい、という思いが強くなりました。私はたまたま、地震学者のままでこういう思いもかなえることができたので、さも高校時代からの夢を実現した人、のように言われます。でももしかしたら、途中で進路を変更して、自分の手で人命を救える医師や看護師を目指したかもしれない。それは、地震学者になるという高校時代の夢をあきらめた、ということではないはずです。

 進路を変更するのは別に悪いことじゃない。日本では一度決めた夢を変えることに対して周囲の抵抗が強いようですが、大事なのは「自分の脳が何に喜びを感じるか」を考えることです。職種にこだわるのではなく、何が一番自分のモチベーションになるのかをしっかり考えてほしい。自分のスキルアップがいいのか、お金がほしいのか、有名人になりたいのか、人の笑顔が見たいのか。

■原点を忘れずに

 地震学者の道を選んだのは、高校1年の1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起こったためです。

 東京に住んでいた私は朝、何も知らずに登校し、帰ってきてテレビ番組が震災報道一色になっているのに驚きました。燃える町、倒れた高速道路、家の下敷きになった母を呼び続ける女の子。恐ろしい光景に衝撃を受け、あの人たちはどうしてこんな悲しい目に遭わねばならないのか、という疑問が頭を離れませんでした。

 私以外にも、震災を機に地球科学や建築学を志した同世代の研究者は大勢います。そして今、東日本大震災を体験して「都市計画をやりたい」「地震学者になりたい」という子たちが私の研究室を訪ねたりしてくれます。

 今年のセンター試験は、東日本大震災後に高校に進学した世代が大学に向かうひとつのステップです。受験生の皆さんは、どんな道に進むにせよ、大震災が起きた日に感じたことを決して忘れないでいてほしいと思います。平穏な日常生活のかけがえのなさ、親しい人たちといられる毎日の大事さを胸に、新しい未来を切り開いてください。応援しています。(聞き手・戸田拓)

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 おおき・さとこ 1978年、東京都出身。北海道大学理学部卒、東京大学大学院理学系研究科で博士号取得。東大地震研究所で地震についての知識を一般に広めるアウトリーチ活動に尽力。2013年4月から慶応義塾大学環境情報学部准教授。