ニューヨーク(NY)で知り合った日本人ママ仲間に頼りっきりの私であったが、息子がプレ・スクールを卒業して、キンダーガーテン(日本で言う幼稚園の年長。アメリカではここから本格的な学校生活が始まる。キンダーガーテンは私、公立共に次に行くエレメンタリースクール《日本で言う小学校》に付属しているところがほとんど)に進学すると、そうもいかなくなった。
日本人ママ仲間の子どもたちが進学していった学校がそれぞれ異なり、うちの息子が行くことになったNYの私立現地校(NYで現地の言葉、英語で授業が行われる学校)には、それまでに知り合いになった日本人ママ仲間はひとりもいなかったのである。
その私立現地校の入学式直前にあった、「学校に通うにあたっての注意事項及び必要な持ち物」というような説明会に来ていた息子の新しいクラスメート(男子11人、女子6人計17人)の父母たちは、みんなアメリカ人だった。
当たり前だが、みんな英語でしゃべっている。
そんな彼らを見ながら私は、
「大丈夫かなあ、今までみたいに助け舟をお願いしたら、すぐに駆けつけてくれる日本人ママ仲間はこのクラスにはひとりもいないのだぞ。こりゃ、いよいよ本格的に英語を勉強する気にならないとまずいなあー」
という気分だった。
2001年9月10日(月)から「入学式」もなく、いきなりストンと朝8時20分から午後2時30分までの授業が始まった。
テロ事件(「2001年9月11日の出来事」から「2001年9月11日の出来事《3》の回参照」)以降も、私とは打って変わって英語を着々とものにしていった当時5歳4カ月の息子は、毎日楽しそうに学校へ出かけていく。
それは何よりのことであった。
彼は学校が終わるとほとんど毎日、クラスメートたちと学校のすぐ近くの公園に遊びに行きたいと言った。
迎えに来た父母を連れ立って、子どもたちはうれしそうに公園へ向かう。たいてい総勢10人くらいだ。
公園に着くなり子どもたちはブランコに乗ったり、滑り台に登っていったり、思いっきり走り回ったり、それはそれは元気に遊び始める。
父母たちも一緒に遊ぶ。
わー、アメリカ人ばっかり、と思いながら私も遊ぶ。
そうやって毎日遊んでいるうちに、おかげで私もすんなりアメリカ人の父母たちと友だちになった。
彼らは、英語にかなり問題のある私になるべく理解しやすいよう話してくれるという、とても心の広い人たちが多く、中には、「ゆきの英語が変なときは正しく直してあげるからね」と先生をかって出てくれる人もいた。
調子ものの私は、そっちがそう出てくれるなら甘えちゃうぞー、とばかりに、相当めちゃくちゃだなあと思いつつも、彼らにずうずうしく英語で勝負していった。
思いっきり受けて立ってくれる彼らのおかげで、本気で英語の勉強をしないとまずいぞと心配していた私も、この調子ならなんとかやっていけるなと、ずいぶん気が楽になったのだった。
(次週に続く)