現在位置:asahi.com>教育>子育て>ゆき姐の子育て応援エッセー> 記事 純(すみ)ちゃんの夢 (2)2007年03月01日 高校生になった純ちゃん(前回「純(すみ)ちゃんの夢 (1)」参照)は、さらなる音大入試強化策として、山口県柳井市の実家から毎週末、今度は東京まで勉強しに出かけて行った。 しかし、これで準備万端とのぞんだ入試は、残念ながら失敗。 受験場で、ほかの生徒のレベルの高さに、純ちゃんは愕然(がくぜん)としたという。 やるだけやったんだからもういいじゃないか、浪人なんかしないで、普通に就職して、結婚してほしい、と父親は望んだ。 父親の言うこともわからないでもない…… でも、純ちゃんはどうしてもバイオリニストになりたかった。 母親は、自分も親から応援して育ててもらったので、純ちゃんにもそうしてあげたいと味方についてくれた。 多治比家の家族会議は、純ちゃんの夢をもう一度応援してあげることで一致。 彼女も、さらに頑張った。 そして翌年、純ちゃんはめでたく愛知県立芸術大学に合格したのだった。 大学を卒業した純ちゃんは、その後、広島交響楽団の非常勤として、プロのバイオリニストの道を歩むことになる。 6歳のころの純ちゃんの夢は、見事、かなったのだ。 しかし、非常勤のバイオリニストは、交響楽団の正団員の欠員が出るまで待つしかない。 いつ来るかわからないオーディションまでに、腕を上げなければ…… 純ちゃんは、世界各国で行われているという音楽のマスタークラス(短期集中で行われる勉強会)に出かけてみることにした。 1996年、最初はドイツで行われたマスタークラスに1カ月間参加。 そして、98、99年の夏、2度にわたって参加したアメリカ・コロラド州アスペンでのマスタークラスが、純ちゃんを大きく成長させたのだった。 そのマスタークラスには、マンハッタンにある世界的名門校・ジュリアード音楽院の、これまた世界的に有名な名バイオリン教師、ドロシー・ディレイ先生が来ていたのだ。 ドロシー先生は純ちゃんに質問したそうだ。 「あなたは何がしたいの?」 純ちゃんは答えられなかった。 「何を学びたいのか、どう弾きたいのかが自分でわからない人には、どう教えていいかわからないわ」 先生の言葉を聞いて、純ちゃんは一生懸命考えた。 今までの自分のバイオリンの演奏には何かが足りない、その何かがわからないし、あんなになりたかったバイオリニストなのに、バイオリンを弾くのが苦痛でもあった、もっと楽に弾けないものか、そのためにはどうアプローチしていったらいいのか…… そうだ、これだ、 純ちゃんはその気持ちを素直に先生にぶつけてみた。 ドロシー先生は言った。 「あー、楽に弾きたいのね。たとえば、音の強弱の作り方のポイントは、弦と弓の接する場所、弓の速度、弓の圧力の変え方、この三つしかないのよ、やってごらんなさい」 三つしかないと言われれば、自分にも楽にできるような気がしたし、目標のために論理的かつ合理的に教えてもらうと、頭の中が一気に整理されたという。 「ただただ、がむしゃらに練習時間を長く費やすばかりで、自分の目標が何なのかわかっていなかった。音楽に対する姿勢があいまいだったんですよね。でも、ドロシー先生に教えていただいてからは、体が本当に楽に動くようになり、バイオリンを弾くのがとても楽しくなったんです」 2000年、純ちゃんは広島交響楽団をやめてニューヨーク(NY)に移り住むことを決心。 バイオリンの腕を磨きつつ、セルフプローモーションも頑張った純ちゃんの実力が認められ、今ではNYで子どもたちにバイオリンを教えながら、世界各国でコンサートを行うまでになった。 そしてこの3月11日には、カーネギーホールでソロ・バイオリニストとして、ストラディバリウスを弾く。 6歳のころの純ちゃんの夢は、ようやく本物になったのである。 (次週に続く) 兵藤ゆき プロフィール
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