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ゆき姐の子育て応援エッセー

やさしい家族(1)

2007年08月23日

 ジュリア家族やジーン家族(前回参照)以外の家族にも、本当によく遊んでもらった。

 特に、夫がニューヨーク(NY)の大学院生の頃、同じクラスを取っていたフランシスコの家族(「サンタの正体」の回参照)には、本当によくしてもらった。

 私と息子が、夫に連れられて初めて彼らの家に遊びに行ったのは、NYに移り住んで2年目ほどのクリスマス・イブのことだった。

 彼らの家では、その日の夕方からクリスマス・パーティーが開かれ、私たちも誘ってもらったのだ。

 フランシスコの家族、パトリシアの両親(以後、おじいちゃん、おばあちゃんと記す)パトリシアの妹とその彼、近所の子どもたちとその家族など、総勢14、5人が集まり、食卓には、パトリシアとおばあちゃんが作った、彼らのふるさと、南米コロンビアの家庭料理だという、トロピカルフルーツがふんだんに使われたサラダ、ブランティン(バナナに似た野菜)のフライ、ワカモリ(アボガド、トマト、たまねぎ、パクチなどの野菜を細かく切って混ぜ、オリーブオイル、ブラックペッパー、ビネガー、塩少々で味付けしたもの)、チョリソーなどが並んでいた。

 フランシスコの子どもたち(当時、長男デイビット6歳半、次男アンドレス2歳半)は、私たちを迎えると、すぐにしっかり抱きしめ、ほおにキスしてくれた。

 フランシスコ夫婦、おじいちゃん、おばあちゃん、パトリシアの妹と、次から次へ、私たちをしっかり抱きしめ、ほおにキスしてくれた。

 初めは戸惑っていた当時2歳8カ月の息子も、いつの間にか自分から彼らに抱きつき、ほおにキスを返していた。

 子どもたちはすぐに仲良くなり、コロコロと遊び始めた。

 私はその頃ほとんど英語ができなかったので、彼らに会ってもあいさつ程度しかできなかった。

 が、何かの役に立てばと持って行った折り紙で、鶴や亀、うさぎ、花などを折ったら、みんなとても喜んでくれた。

 特におばあちゃんは、ものすごく感激してくれた。

 おばあちゃんもほとんど英語ができなかったが、彼女は、“ ビューティフル ”を連発しながら、満面の笑顔で私を何回も抱きしめてくれた。

 あれから9年余り、フランシスコ家族はいろいろなことに私たちを誘ってくれた。

 バーベキューパーティー、誕生会、ピクニック、コンサートなどのほかにも、私たち家族では気が付かないようなイベントにいっぱい誘ってくれ、連れて行ってくれた。

 私たちがこの7月に日本に完全帰国する話をフランシスコ家に話しに行ったときは、おばあちゃんが最初に涙ぐんでしまった。

 その後、フランシスコ家ではなるべく私たちが帰国してしまう話はしないようにしていたと、フランシスコが言っていった。

 家族の誰かが涙ぐんでしまうからだったそうだ。

 ほんとうにやさしい家族なのだ。

 私たちが日本に帰る前日、フランシスコ家のみんなとお別れパーティーを近所のコロンビアンレストランで開いた。

 パーティーの後、いよいよお別れというときに、フランシスコが言った。

 「あなたたちは、いつまでも私たちの家族だからね。そして、私たちの家はあなたたちの家だから、NYに来たときはいつでもうちに戻って来てほしい」

 これは泣けた。

 見ると、夫も息子も、フランシスコの家族もみんな泣いていた。

 10年あまりのNY生活は大変なこともいろいろあったけれど、人との出会いには本当に恵まれていた。

 これからも長い付き合いになるだろうフランシスコ家に別れを告げ家に帰るとき、私はしみじみそう思っていた。

(次回に続く)

兵藤ゆき プロフィール

兵藤ゆき兵藤 ゆき(ひょうどう・ゆき)
 名古屋市出身。血液型O型。東京・名古屋・大阪で深夜ラジオのパーソナリティーを皮切りに個性的なキャラクターでテレビ番組に登場し、その後エッセー、脚本、作詞、歌手、小説等ジャンルを超えて幅広く活躍。1996年に長男誕生後、ニューヨークに。
 主な著書に、(対談集)「頑張りのつぼ」(2005年7月 角川書店)…ニューヨークで活躍する日本人8人の方との書き下ろし対談集(宮本亜門・千住博・宮本やこ・野村尚宏・平久保仲人・河崎克彦・高橋克明・小池良介)、(翻訳本)「こどもを守る101の方法」(2006年7月 ビジネス社)などがある。

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