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卒業式と入学式の季節がやってきた。思い出を胸に刻んで旅立ち、新たな出発をする節目の行事である。
ところが、この時期になると、決まってうっとうしいことが起こる。日の丸掲揚と君が代斉唱を徹底させようという動きが年ごとに強まっているからだ。
突出しているのが東京都教育委員会だ。卒業式や入学式で日の丸に向かって起立せず、君が代を歌わない生徒の多い学校を特別に調査する方針を決めた。担任らの日頃の言動を調べ、生徒の行動に影響を与えたと判断すれば、教師を処分する。
さすがに生徒を処分することまでは考えていないようだが、生徒には「先生に迷惑をかけたくない」という心理的な圧迫がかかるだろう。
国旗を掲げ国歌を歌わせるのに、そんなことまでする必要があるのだろうか。どう考えても、都教委のやり方はいきすぎだ。
もともと都教委は昨年10月、こと細かな通達を学校に出している。
国旗は舞台の壇上正面に掲げる。司会者が国歌斉唱と発声し、起立をうながす。教職員は指定された席で、国旗に向かって起立し、斉唱する。そうした内容を徹底させるために、都教委の職員を監視役として学校に派遣している。
卒業式や入学式は本来、生徒たちのためにあるはずだ。日の丸に向かって起立することに抵抗感を持つ生徒もいるだろうし、君が代の歌詞に違和感を持つ生徒もいるだろう。教師や仲間と議論し、自分の判断で、立たなかったり歌わなかったりするならば、それはそれでいいではないか。
学校や生徒の自主性を生かそうという教育改革が進められてきた。国旗と国歌に限って、なにがなんでも一律の方針を押しつけるのは自己矛盾というものだろう。
国旗・国歌法が成立したのは5年前だ。その際、政府は「国として強制や義務化をすることはない」と説明していた。
しかし、文部科学省は学習指導要領に基づき、国旗掲揚・国歌斉唱を徹底するよう求め、毎年、実際に学校で実施されたかどうかを調べている。各地の教育委員会も処分を掲げて締めつけを強めた。もはや強制しているとしかいいようがない。
その結果、全国ほとんどの公立小中高校で日の丸が掲げられ、君が代が歌われるようになった。
それでも満足できない。きちんと国旗を掲げ、全員に歌わせなければならない。そうしたことが次の目標になっているのだ。
だが、むりやり起立させ、歌わせても国旗や国歌への理解が深まるわけでない。
サッカー場で日本代表を応援する人たちが日の丸を振り、君が代を歌う。そうしたことが国旗や国歌の自然なあり方だ。
卒業式や入学式は子どもたちにとって大切な思い出になる。大人たちが不毛な対立を持ち込むのはもうやめにしたい。
(朝日新聞東京本社発行 3月18日付朝刊)
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◆起立せずで処分とは 国旗国家(社説)
東京都教育委員会が都立の高校や盲・ろう・養護学校の教職員に対し、戒告などの大量処分をすることを決めた。今月の卒業式で君が代斉唱のときに起立しないなどの職務命令違反があったからだという。
約180人ともいわれる処分は異例だが、処分に至る過程も常軌を逸していた。
国旗は舞台の壇上正面に掲げる。教職員は国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。そうした細かな通達を守っているかどうか。都教委は監視役の職員を学校に派遣した。処分の対象者が増えたのは、それだけ教職員の行動に目を光らせたせいでもあるだろう。
起立したかどうかは見ればすぐに分かる。教職員の座席表もあらかじめつくらせていた。処分する側にとって、これほどやりやすいことはないだろう。
式を妨害したのならともかく、起立しないからといって処分する。そうまでして国旗を掲げ国歌を歌わせようとするのは、いきすぎを通り越して、なんとも悲しい。
東京も含めて全国ほとんどの公立小中高校ではすでに日の丸が掲げられ、君が代が歌われている。
それでは不十分だ、国旗を壇上に掲げ、起立させ国歌をもれなく歌わせなければならない。それが都教委の考えだろう。
その現場で何が起こっているか。ある学校でこんな話を聞いた。
今年の卒業式で生徒たちは君が代をこれまでにはなく大きな声で歌った。卒業式に向けて、練習を繰り返した。そのうえで決定的だったのは、校長が「君たちがしっかり歌わないと、先生方が処分を受けかねない」と生徒たちに言ったことだった。
自分が歌わないと先生が処分されるかもしれない。3年間勉強や体育を教えてくれた先生が国歌斉唱で立ち上がらなかったといって、処分される。そうした卒業式を味わった生徒たちは大人たちをどう思うだろうか。国旗や国歌に愛着を持つだろうか。
教師を処分するのは、それだけではすまない。いや応なく子どもたちを巻き込むことになるのだ。
日の丸や君が代について受け止め方は人によってさまざまだ。
国旗掲揚、国歌斉唱を子どものときからきちんと教え込むべきだという人もいる。一方で、日の丸や君が代に抵抗感を持つ人もいる。日の丸や君が代は好きだが、むりやり起立させられたり、歌わされたりするのはいただけないという人もいる。
そうした色々な考えの人たちがいるにもかかわらず、学校の中では一人残らず国旗に向かって起立させ、国歌を歌わせようというのはむりがあるのではないか。
都教委の目はすでに4月の入学式に向いている。国旗掲揚、国歌斉唱をもっと徹底させようというのだ。
処分を掲げてこのまま突っ走るのは、新入生を迎える行事にはふさわしくない。
(朝日新聞東京本社発行 3月31日付朝刊)
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◆国旗・国歌――甲子園とは話が違う(社説)
東京都立高校などの卒業式をめぐって国旗・国歌の強制に反対する社説を2度掲げた(3月18、31日)ところ、思わぬ批判をいただいた。
産経新聞のコラム『産経抄』は「そうまでして国旗・国歌を貶(おとし)めようとする論調は、なんとも悲しい」と、朝日新聞を名指しで批判(1日)。読売新聞は「甲子園では普通のことなのに」という社説(31日)を掲げ、春夏の高校野球の開会式などで行われる国旗掲揚や国歌斉唱は「国旗や国歌が、暮らしに溶け込んでいることを実感させる光景だ」と書いた。朝日新聞社が主催者の一人であることを意識してのことに違いない。
さて、私たちの主張は何か。卒業式で日の丸を掲げるな、君が代を歌うな、などと言っているのではない。処分という脅しをかけて強制するのは行きすぎだと主張しているのだ。それがなぜ国旗・国歌を貶めることになるのだろうか。
戦前の経緯や思想信条、宗教などの理由で、国旗・国歌に複雑な気持ちをもつ国民がいるのは事実である。どうしても嫌だという人に無理やり押しつけるのは、民主主義の国の姿として悲し過ぎる。私たちはそう言っているのだ。
確かに甲子園の開会式では国旗掲揚と国歌斉唱が行われ、役員、選手には脱帽を求め、観客には協力をお願いしている。しかし、処分をたてに強制などはしていない。もちろん監視員などいないし、罰則もない。現に起立も斉唱もしない観客はいるが、だからといって退場を求めることはありえない。
だが、都教委は違う。170人余りの教職員を戒告とし、5人の嘱託教員の契約更新を取り消した。明らかに式を妨害し、混乱させたなら別だが、起立しなかったり退席したりしたことが懲戒処分や雇用機会を奪う理由になるのか。憲法が保障する「思想及び良心の自由」を侵す疑いが強いと考える。
国旗・国歌法が99年に成立したとき、当時の小渕首相は学校での扱いについて「頭からの命令とか強制とか、そういう形で行われているとは考えておりません」と国会で答弁した。当時の野中官房長官も「強制的にこれが行われるんじゃなく、それが自然に哲学的にはぐくまれていく、そういう努力が必要」と答えていた。この記録を生徒に読ませ、「あなたの学校では首相らの約束が守られていますか」と尋ねてみたらいい。
多民族国家の米国では統合の象徴としての国旗への思いがとりわけ強い。国旗に対する「忠誠の誓い」を生徒に義務づけている公立学校も多い。そんな米国ですら「誓い」を拒む権利は連邦最高裁が1943年に認め、同様の判例が重ねられてきた。それこそ国家が守らなければいけない一線だ、というかのように。
しろじに あかく ひのまる そめて ああ うつくしい にほんの はたは
小学1年生は、みんなこの歌を習う。日の丸を美しいと思う心は、強制して育てるものではない。
(朝日新聞東京本社発行 4月2日付朝刊)
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