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万葉仮名文が書かれた木簡の赤外線写真(分割撮影して合成)=大阪市文化財協会提供 |
大阪市中央区の難波宮(なにわのみや)跡で、7世紀中頃のものとみられる、日本最古の万葉仮名(まんようがな)文が書かれた木簡が見つかったと、大阪市教委と市文化財協会が12日、発表した。万葉仮名文の成立は一般に7世紀末ごろとされていたが、今回の発見で20〜30年、さかのぼることになる。市教委などは「日本語表記や和歌の歴史にとって画期的な資料」としており、「万葉仮名文は7世紀末ごろに柿本人麻呂が完成させた」とする説にも再考を迫るものとなる。
万葉仮名は主に漢字1字を1音にあてて日本語を表記した文字で、万葉集で使われていたことで知られる。今回、出土した木簡は、長さ18.5センチ、幅約2.65センチ、厚さ5〜6.5ミリ。丁寧に削られた片面に、墨で「皮留久佐乃皮斯米之刀斯」の計11字が書かれていた。12字目をわずかに残して、下部は欠けた状態だった。
国語学の専門家は「はるくさ(春草)のはじめのとし」と読む可能性が高いと指摘。「春草の」は万葉集で枕詞(まくらことば)として使われており、文は五・七音を重ねた韻文の可能性が高く、和歌とみられる。木簡は一緒に出土した土器や地層の状況から、大化の改新後に飛鳥京から遷都した前期難波宮の完成(652年)直前のものとみられる。
これまで、万葉仮名文が書かれた古い木簡としては、古今和歌集の和歌の最初の五・七部分「奈尓波ツ尓作久矢己乃波奈(難波津(なにわづ)に咲くやこの花)」が書かれた観音寺遺跡(徳島市)出土の木簡(689年以前)などが知られていた。
難波宮跡の木簡は大阪市の大阪歴史博物館で14、15日に特別公開(無料)、18〜23日に一般公開(有料)される。
◆「人麻呂が完成」、再考促す物証
東野治之・奈良大教授(日本古代史)の話 万葉仮名文が7世紀半ば、すでに使われていたと確定できた意味は大きい。柿本人麻呂が天武朝(672〜686年)に完成させたとの説に再考を促す決定的な物証で、「ついに出たか」の思いだ。日本語の発達をたどる意味で重要な資料。和歌なら木簡は3倍の長さがあったのではないか。おめでたい歌をおめでたい機会に朗唱する目的だったと思う。
(10月13日付け朝刊2社会面)