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| 明治37年(1904年)に初めて登場した朝刊1面のコラム。「名文」としての評価が高いが、日々、その時代のありさまを鮮明に映し出していて、よく読まれている。大学入試の題材として採用されることも多い。執筆者は原則として一人。当初は西村天囚、内藤湖南、鳥居素川、長谷川如是閑、大山郁夫、永井釈瓢斎ら日本の代表的言論人が筆をとり、戦後は嘉治隆一、荒垣秀雄、入江徳郎、疋田桂一郎、深代惇郎、辰濃和男、白井健策、栗田亘が担当している。 |
| 〈執筆者からひとこと〉 世紀末。さまざまなできごとが続きます。10年、20年前には想像しにくかった、社会の激しい変化です。こうした変容をどう受けとめ、考えたらいいのでしょうか。毎日のコラムで、わずかながらでもお手伝いができたら、と願っています。(栗田 亘) |
| 森に包まれた岐阜県清見(きよみ)村。一九一一年(明治四十四年)一月、深い 雪の中を数百人の老若男女が、巨大なケヤキを綱で引いて、じわじわと進んでいた ▼飛騨高山の寺を造るための、「大持(だいもち)」と呼ばれる建材である。何日 もかけてそれを高山まで引くことを「大持曳(ひき)」といった。特別製のそりに 載せた大持は、長さが八間(十四・四メートル)、太さ七尺五寸(二・二五メート ル)という代物。付けられた「曳綱」は、長さ五十間(九十メートル)、太さは一 尺五寸(四十五センチ)もあった▼清見と周辺の村から集められた正式な曳手は三 百人。彼らは道筋の家々に五―十人ずつ分宿した。大持曳が通る集落では、動ける 者は幼児から年寄りまですべて動員された。まかないを担当する者は、千人にも及 んだ▼木遣師(きやりし)という音頭取りが、大持の上に乗って歌う。#ハァー 末綱(うらづな)キンチャクゥー。曳手が「オーンヨー」と声を合わせる。#ソリ ャ へそそらせー。「ヨオーイショウョォ」。漆塗りの采配(さいはい)を振りつ つ、木遣師は裸の上半身に腹掛け一つの姿で、曳手の力を一つにまとめる▼それで も大持は、しばしば動かなくなる。と、きまって登場するのが木遣師の一人で、わ ずか十歳の少年だった。彼が巨木の上で澄んだ声をかけると、木は自分で目覚めた かのように動いて、わけなく引くことができたという。身も心も木と一体化して、 木の声、木の思いをそのまま伝えようとする少年の純粋さが、人びとの気持ちを打 ったのだ▼木と人間をめぐる佳話をまとめた稲本正さんの近著『木の聲(こえ)』 (小学館)の一編である。読みながら、いつか神戸の事件の容疑者を連想した。も っぱら本人の責任を問う声が、巷(ちまた)に少なくない。それも、一つの考え 方。けれども、子どもとは本来、この木遣師のように純粋な心を持っていると信じ たい。大人に責任なし、とだれもが言い切れるのだろうか。 |
| ?おもな発問! ●1911年1月、岐阜県清見村で、どのようなことが行われていましたか。 ●筆者は、この話を何から引用しましたか。
応用授業例
ファミリーフォーカス |
| このコラムをまとめた本には、朝日NDブックス「天声人語」(最新のものまで半年分を1冊に収録、刊行中)、朝日文庫「天声人語」(歴代筆者別に収録、全13巻)、朝日文庫「天声人語にみる戦後50年」(全2冊)、四半期ごとに年4冊刊行する英文対照の「天声人語」(原書房刊)、最近数年のコラムから抜粋した英文対照「ベスト・オブ・天声人語」(講談社インターナショナル刊)などがある。 |
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