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〈学びと震災〉先生ら機転 犠牲者ゼロ 宮城県東松島・浜市小

2011年5月9日11時11分

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写真:体育館にも津波が押し寄せ、グランドピアノがひっくり返った拡大体育館にも津波が押し寄せ、グランドピアノがひっくり返った

写真:2階に上がる階段。黒い津波の跡が残る=いずれも4月8日、宮城県東松島市立浜市小、氏岡写す拡大2階に上がる階段。黒い津波の跡が残る=いずれも4月8日、宮城県東松島市立浜市小、氏岡写す

写真:浜市小学校。1階に1年生の教室や職員室、2階に理科室、2〜6年生の教室などがある。左手の3階部分が音楽室=4月8日、宮城県東松島市浜市字新田、氏岡写す拡大浜市小学校。1階に1年生の教室や職員室、2階に理科室、2〜6年生の教室などがある。左手の3階部分が音楽室=4月8日、宮城県東松島市浜市字新田、氏岡写す

図:浜市小の立面図拡大浜市小の立面図

地図:  拡大  

 東日本大震災からまもなく2カ月。やっと新学期を迎えた東北沿岸部の学校では、これから災害に強い学校づくりが課題になる。宮城県東松島市立浜市小学校は、津波に襲われながらさまざまな機転を利かせて乗り越え、子どもや教職員に死傷者を一人も出さなかった。その24時間を追い、津波避難の教訓を考える。

■午後2時46分 横揺れ

 3月11日午後2時46分。激しい横揺れが来た。浜市小では、5時間目の授業が終わり、休憩にした直後だった。

 「机の下にもぐりなさい」。5年生の授業で理科室にいた教務主任の渡辺孝之教諭(49)は大声で指示した。キャスター付きのテレビや実験器具の台車が床を滑る。揺れが小さくなってから確認すると、子どもたちは全員机の下にいた。

 直後に電気が切れた。職員室のテレビもつかない。渡辺教諭は校庭の駐車場にとめていた自分の車に走り、玄関に横付けして車内のテレビをつけた。

 三陸沿岸の地図に赤い線が点滅し、大津波警報が出ている。他の13人の教職員や駆けつけた保護者に大声で伝えた。「警報が出ています。2階以上に避難を」

 地震があったら即、津波対策。渡辺教諭がそう考えたのは、昨年のチリ地震津波で大津波警報が出た際、浜市小が避難所となり、佐藤孝子校長(54)=当時=の判断で住民を階上に避難させた経験があったからだ。

 今回も避難所になるかもしれない。教職員たちは体育館からござやシートを持ち出し、保健室の布団を運び出した。

■同3時40分 津波

 午後3時40分ごろ、消防車が校庭に走り込んできた。消防団員が叫ぶ。「津波だ。早く避難しろ」

 すぐ後ろを、黒い津波が追いかけてきた。彼らが校舎に駆け込んだ直後、消防車、救急車も渡辺教諭の車も波にのみ込まれた。

 家が押し流され、何十台もの車がぶつかり合いながら校舎に激突する。

 「窓から離れろ、もっと上に上がれ」。教員たちの指示に、1年から4年生までの児童や住民は、最も高い3階の音楽室に駆け上がった。

 5、6年生は2階から直接、屋上に上がろうとした。だが、鉄扉は施錠されたままだ。鍵は水没した職員室にある。子どもたちは扉の前で立ちすくんだ。

 そのとき一人の教員が思い出した。「6年生の教室に合鍵がある」。鍵は見つかり、無事ドアは開いた。

 津波は、階段をあと5段上がれば2階に届くというところで止まった。

 学校にいた子ども約150人と避難してきた女性や高齢者らを合わせた約300人は、3階の音楽室に移った。動ける男性約100人は、2階の教室や踊り場、階段に待機した。

■同4時 対策本部

 佐藤校長は午後4時過ぎ、2階の5年生の教室に災害対策本部を開いた。メンバーは住民代表と消防署員、地元消防団員や教員ら約20人だ。

 消防団員が話した。「流されている人影を見ても救出する術は残念ながら、ない。二次被害を防いでほしい。低体温症などを起こさない注意を」

 間もなく携帯電話も不通になり、学校は孤立した。教職員たちは暖をとるためにカーテンや暗幕、ピアノのカバーなどありったけの布や、新聞紙、段ボール、ビニール袋を集める。水道が出る間に飲む水とトイレの水を確保しようと、水をペットボトルとバケツに入れられるだけ入れた。

 これから闇夜が訪れる。光がほしい。渡辺教諭が思いついたのは、理科室にある実験用の豆電球と電池だった。豆電球の光も、小さな水槽やペットボトルに入れると反射して明かりになる。教職員で40個ほど作り、あちこちの壁や窓ガラスに張った。

 次の津波が来ないか、屋上で消防団が3時間交代で見張りをする。教職員は屋上にトイレの場所を男女別に決めて警備したり、音楽室の真ん中に明かりを掲げて立っていたりした。

 踊り場や階段にいる人たちは厳しい寒さに襲われた。津波警報を知ってすぐ体育館から持ち出しておいたシートやござを踊り場に張り、風よけにした。

 学校の周囲はすべて水につかり、三日月が水面に映っていた。「家族は? 家は?」。不安にかられながらも、泣き出す子どもはいない。みんな、じっと夜明けを待っていた。

■翌日午前6時 食料

 12日午前6時前、夜が明けた。教職員が居住区ごとに名簿をつくって点呼すると、子どもも含めて405人いた。

 水が少しずつ引いていく。一人の父親が両手いっぱいに水と食料を持ってやってきた。コンビニで物資を調達し、がれきと泥をかき分けてたどりついたのだ。親たちはその後、続々と、自宅に残った水や食べ物を抱えて学校に来た。

 午前6時過ぎ、教職員はまず1年生から順に、クッキーの小さな袋を2人に一つずつ配った。高学年はなくなったので、1人にポテトチップス1枚と板チョコ半かけずつ。「ごめんね」と教員が言うと、子どもたちは「いいよ」と言いながら大切そうに手で受けた。乳幼児にはコーンフレークをひとつまみ、お年寄りには煎った大豆をひと粒ずつ配った。

 やがて市の職員が防災無線を持って学校に着いた。パンや水、ゼリー、あめが届いたのは正午過ぎ。次の津波が来ると危険なので、より高い所に避難するよう市が指示し、県立東松島高校に移ることになった。

 バスのピストン輸送で全員が移り終わったのは午後5時前。津波から一昼夜がたっていた。

 その間に、津波の前に校内に避難した負傷者が死亡したが、浜市小の児童と教職員は全員無事だった。

■親への引き渡し課題

 しかし反省点は残った。

 同校の決まりでは、大きな地震があった場合、校庭に避難し、保護者に引き渡すことになっていた。この日は校庭でなく各教室にしたものの、20人近くを親に引き渡していた。

 今回の震災では多くの学校が同じようなマニュアルで子どもを引き渡し、帰り道や自宅で津波にさらわれている。

 浜市小はチリ地震後、決まりを見直す議論を重ねていた。大津波警報の場合、校庭での集合をやめ、迎えに来た保護者とともに校舎に待避し、警報解除まで学校にとどまらせる。その方針を新年度から徹底させようとしていた矢先だった。「引き渡した子は結果的に無事だったが、課題が残された」と渡辺教諭。

 浜市小の新学期は他校に間借りして4月21日に始まった。子どもたちは146人。卒業式と修了式をした3月28日以来のスクールバスでの登校で、少し緊張した顔が集まった。

 避難訓練や防災計画はこれからだが、「津波の際は3階以上に避難。屋上の鍵は常にドアのそばに置き、すぐに開けられるようにしよう」と両校で確認した。「地震と津波をセットにした対策を徹底していきたい」と渡辺教諭は話した。(編集委員・氏岡真弓)

■「学校づくり、生きる力意識」

 浜市小のケースに学ぶべき教訓は何か。震災への対応について学校に聞き取り調査をしている東北福祉大の数見隆生(かずみ・たかお)教授(学校保健学)に聞いた。

    ◇

 多くの学校が地震に注意を奪われ、津波への対応が遅れたのに対し、浜市小はいち早く車のテレビで警報を確認し、児童を階上に避難させた。校庭や体育館だったら大惨事になっていただろう。昨夏に耐震補強工事を終えていたため、安心して動けたのも大きい。

 避難生活でも、日常の学校づくりが生きた。豆電球を活用したのは、教員がふだんから「生きる力」につながる学びを意識していたからだろう。地元と連携して対策本部をつくれたのも、住民と信頼関係を築いてきた成果だと思う。

 天災の被害を最小限にとどめ、人災にしないために学校は何をすべきか。東北の学校の経験は重い。全国の学校で共有してほしい。

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