現在位置:asahi.com>教育>小中学校>天才の育て方> 記事

天才の育て方

バレエダンサー熊川哲也の親父・健一さん:2 いたずらっ子

2007年05月02日

 健一は1枚の写真を見せてくれた。さち子の死の2年ほど前に撮ったものだ。

 哲也を挟んで健一とさち子が立っていた。3人の間には不自然な空間があり、それがすべて青く塗られていた。

 「3人を残して、写っていた人たちを妻が塗りつぶしたんです」

 15歳で海外に送り出した息子は、弱冠21歳で英国ロイヤルバレエ団のトップダンサーの一人となった。日本に公演で戻ってくるようになったころには、すでに「世界の熊川」。自分たちだけの息子ではなくなっていた。

 親子の距離感は、哲也が15歳のときのまま。親は一緒にいたがり、哲也はそれを恥ずかしがった。そして、哲也が常に多くの人に囲まれていたこともあり、親子3人だけの写真はなかったのだ。

 「写真の中だけでも3人になりたかったのでしょう。母親としては」

     *

 1972年3月、北海道旭川市に住む健一・さち子夫婦に2番目の子が生まれた。さち子が好きだったテレビドラマの主人公にちなんで、哲也と名付けた。

 「上が息子なので、本当は娘が欲しかったんです。顔立ちが母親似でかわいかったので、女の子の服も似合いました」

 3年後、健一は転職。札幌に転居した。共働きをしたかったが、子どもが小さいうちは母親はそばにいるべきだとも思い、廃業予定の小さな雑貨屋兼住居を居抜きで買った。さち子は店番しながら子どもたちの面倒をみた。

 日常的にはさち子が、それで聞かなければ健一がしかった。哲也はいたずらっ子で、しかも口が達者。よくげんこつを見舞った。親は、たたいてでも教えねばならないときがある。健一はそう思う。

     *

 健一は子どものころ、父の両手のひらに乗って立ち、バランスを取る遊びが好きだった。自分が親になり、子どもたちにそれをやらせようとすると、長男は怖がり、逃げ出した。哲也は面白がり、手を頭の上まで持ち上げても、片方の手を急に下げても、巧みにバランスを取った。健一は今も、前屈で手のひらが床にペタリとつく。哲也はこの体の柔らかさも受け継いでいた。

 今思えば素質はあった。だが、バレエと無縁の生活だった。(敬称略)

このページのトップに戻る