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天才の育て方

歌手・天童よしみのお母さん・吉田筆子さん:1 誕生会で「ひばりの渡り鳥だよ」

2007年05月15日

 まさに都落ちだった。

 1975年12月、東京・広尾の2階建てマンション。娘の芳美が「天童よしみ」となった5年前から、ここで母娘だけの生活を続けていた。夜も更けたころ、大阪から手伝いに来た夫と3人で、近所の迷惑にならないように静かに荷物を運び出し、トラックに積み込んだ。上京の時の華々しさが嘘(うそ)のように思えた。

 暗闇の高速道を一路、西へ。故郷の大阪・八尾についたときは、雲が朝焼けで真っ赤に染まっていた。

 「絶対に東京へ戻る。すぐ戻る」

 吉田筆子(74)は娘の寂しそうな顔を見ながら、そう誓ったことを、今でもはっきり覚えている。しかし、母娘に光が差すまでには、それから10年の歳月が必要だった。

   *

 筆子がこの娘を授かったのは、和歌山県田辺市芳養(はや)町に住んでいた54年9月。地名から一字取り芳美と名付けたのは夫・義行(77)。芳美が4歳のときに大阪府八尾市に引っ越す。

 吉田家は歌にあふれていた。

 義行は歌が好きで、素人バンドでサックスを吹いていた。カラオケなどはない時代、会社の同僚や親類を家に誘い、村田英雄や春日八郎を歌った。専業主婦の筆子は台所仕事をしながら、美空ひばりや三橋美智也を口ずさんだ。芳美は両親のまねをして歌い始めた。

 「家の宴会で、小さな台を作ってね。私たち夫婦が喜ぶせいでしょうね、童謡より歌謡曲、それも演歌系でした」

 6歳の誕生会では、10人の友だちがお祝いに「シャボン玉」を合唱してくれた。芳美はお返しに「ひばりの渡り鳥だよ」を歌い、友だちの目を丸くさせた。

   *

 吉田家にとって、歌は親子の会話でもあった。義行はオープンリールのテープレコーダーを買い込み、芳美の歌を録音して、親子で聞き返しては、歌の意味や感情の込め方を教えた。

 「7歳になるころには、今と同じ声になり、大人のような節回しができました。でも、歌手にさせようと考えたことは一度もなかったですね」

 小学生になると、テレビが大好きな芳美はのど自慢番組などに出て、天才少女と呼ばれ始めた。(敬称略)

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