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天才の育て方

バイオリニスト五嶋みどり・龍のママ 節さん:2 母の再婚 心の弦が切れた

2007年06月19日

 1986年のタングルウッド音楽祭。演奏の途中、14歳のみどりがコンサートマスターに歩み寄った。落ち着いてバイオリンを交換する。また弦が切れたのだ。

 無事演奏が終わると、固唾(かたず)をのんで見守っていた会場は歓声と興奮に包まれ、指揮者のレナード・バーンスタインは小柄なみどりを抱きしめた。

 母の節(58)と渡米して5年目の夏。日米の教科書にも載った「みどり伝説」誕生の瞬間だった。

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 みどりが上達するにつれ、節は壁にぶつかることが増えた。何人もの音楽家に納得いくまでレッスンしてもらった末の81年2月、2人で渡米。ジュリアード音楽院の名教師ドロシー・ディレイに認められ、彼女の元で学ぶためだった。

 英語は話せない。学費は免除されたがお金は減る一方。節は肉も果物も食べずに倹約、コートも買わなかった。みどりを電車で送った後は、一人走って帰った。

 この年の暮れ、みどりはニューヨークデビュー、節は離婚した。

 「渡米したころ、みどりはちょっと子ども返りして、先生の前でも私の顔じーっと見て弾いてましたね」。一時帰国時のビデオには、練習中のみどりに叔父が話しかけても反応せず、お茶をすすめた祖母には「ママにきいて」とだけ答える姿が残っている。「おっしゃることを聞きなさいと私が言ったから、先生の言葉は耳に入るけど、それ以外は……」

 節は娘の世界を広げ、深めようと努めた。曲の背景にある歴史など、あらゆる要素をレッスンに盛り込んだほか、一緒に本を読み、情報を仕入れては話した。

 母娘のきずなとバイオリンをよろいにして、みどりは学校でのいじめにも負けず、しっかりした子になっていく。

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 88年7月に龍が生まれ、節は翌年、龍の父・摩承(まこと)と再婚した。思春期特有のゆらぎ・悩みに加え、ありったけの愛情を注ぎ注がれてきた母娘関係に訪れた急な変化に、張りつめていたみどりの心の弦が切れた。「相手が私では反抗もできずにいたし、いっぱいいっぱいになって20歳すぎて体に出たんですね」

 22歳のみどりは、摂食障害になり4カ月間演奏活動を休んだ。節はうちのめされ自分を責めた。(敬称略)

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