現在位置:asahi.com>教育>小中学校>天才の育て方> 記事 バイオリニスト五嶋みどり・龍のママ 節さん:3 家では日本語、親子の対話重視2007年06月26日 「私から離れて住みたいと言うなら、それでもいい」。摂食障害で入院したみどりが退院するとき、節は部屋を一つ借りた。しかし、みどりは節の元へ戻った。 まもなく演奏活動を再開。20歳で始めた「みどり教育財団」のボランティア活動などを足がかりに、心の健康を取り戻していった。 * 翌95年夏の札幌。龍がパガニーニの協奏曲でデビューした。11歳でデビューしたみどりもこの難曲を弾いたが、第1楽章だけ。7歳の龍は全楽章を弾いた。 家族の共通語ともいえるバイオリン。龍も、物心がつくかつかないかのうちから興味を示した。生来の音感の豊かさは家族も驚くほど。龍が3歳の時、節が教え始めたのは自然のなりゆきだった。節には「私に何かあっても、異国で姉弟ふたり、バイオリンを支えに生きていってほしい」という願いもあった。 みどりの時に比べれば迷いや寄り道は少なかったが、レッスンは厳しかった。 みどりは人見知りをしたが、龍はだれにでも声をかける人なつこさを持っていた。その龍も、小柄で英語があまり話せないためか、幼稚園でいじめにあった。 節は、家では日本語で通していた。子どもはいずれ英語が上手になるが、節はそうはいかない。親子が将来も意を尽くして話し合えるように、日本語が母国語である必要があった。多民族国家で生き抜くため、自分が何者かをしっかり認識しておく必要もあった。 * いじめは断続的に続いたが、龍は成績のよさ、バイオリンの演奏、7歳で始めた空手で鍛えた体で、周囲から一目おかれるようになっていった。 05年夏、17歳の龍は、本や映画、音楽の話を始めると止まらない明るい青年になっていた。インタビューを受けると、母への素直な敬愛を口にした。「姉を一人前の演奏家にするまで、とても苦労した。僕にも、音楽をくれた。僕のヒーローは母です」 実はこの時期、龍は反抗期真っただ中。のびのび育った分、反抗もまたパワフルだった。 そして事件が起きた。節が隔離されたのだ。(敬称略) 天才の育て方 バックナンバー |
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