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天才の育て方

スケート選手清水宏保の母さん 津江子さん:3 素人コーチの熱意、身長差を克服

2007年07月24日

 宏保の父・均はしつけに厳しく、鉄拳制裁も辞さなかった。津江子は均の前に立ちふさがり、代わりに殴られたことが何度もあった。子どもたちは恐れながらも、スケートや遊びにはとことんつきあう父を慕った。また、体を張って守ってくれた母を愛した。

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ライバルはいつも長身の選手だった。左が11歳の宏保。

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 宏保のコーチはずっと均。少年団のコーチは、大柄な選手に目をかけた。

 どうすれば長身の選手に勝てるのか。均は、小兵ながらも巨漢力士に引けを取らなかった当時の横綱・千代の富士に注目し、「足腰の強さと柔軟性が体格差を補っている」と分析、四股と股割りを練習メニューに加えた。腰を低い位置に保ちつつ、股関節の可動域を広げられれば、宏保の1歩は長身選手の1歩と互角以上になるはずだ、と思ったのだ。

 「夫は完全に素人ですが、他の子を指導しているコーチの話に聞き耳立てたり、どこからか一流選手のビデオを持ってきて見せたりと、非常に熱心でした」

 スタートダッシュも鍛えた。6、7人ずつスタートする小学生の大会では、最初のコーナーに選手が殺到する。小柄な宏保は何度もはじき飛ばされた。手をたたいて音に反応させる遊びを兄弟で競わせ、家では足の裏の感覚を鍛えるためにゲタを履かせた。他の選手にぶつからないように腕の振りを小さくさせると、偶然だがタイムアップにも結びついた。

 ローラースケートや自転車を使った練習もいち早く採り入れた。素人ならではの失敗もあったが、低い姿勢の滑りとスタートダッシュは今も宏保の武器だ。

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 均の死後、宏保は500メートルの高校記録を更新、アルベールビル五輪(92年)の最終選考に残るほどになった。複数の大学から誘いもきた。しかし宏保は高校卒業直前、大学には行かないと言い出した。

 津江子は建設会社の経営を元従業員に譲り、そこで一従業員として働いていた。現場にも出た。アスファルトで道を固めたり、汚水管に入って作業したり。大型ローラーの免許も取った。149センチできゃしゃな津江子には重労働だった。

 「帰宅しても着替えもせずに寝入ってしまうことが何度もありました。宏保はそれを見ていたのですね。働くと言ってききませんでした」(敬称略)

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