現在位置:asahi.com>教育>小中学校>天才の育て方> 記事

天才の育て方

ものまね芸人コロッケのお母さん 滝川博子さん:1 姉と2人、ペコちゃんポコちゃん

2007年08月07日

 小声でさえ隣に筒抜けの2軒長屋。4畳半と6畳に娘・息子と3人暮らし。月に1度、1杯80円の豚骨ラーメンがぜいたくだった。ふだんは米とおかず1品。モヤシのいため物が20日間続いたとき、息子に、モヤシは洗うのに水道代、いためるのにガス代がかかるから、納豆の方が良いよ、と言われた。

 「納豆ご飯おいしかったですねぇ。貧乏? 言われてみれば、そうだったのでしょうが、そう思わなかったのですよ」

 滝川博子(71)は笑った。大きなパン工場を営む裕福な家庭で育ったが、空襲で工場は焼け、父親は戦死。すべて失ったが不幸だと思わなかった。不幸だと思うのは人と比べるから。比べなければ貧乏とも思わない。その姿勢は、結婚した後も変わらなかった。

   *

 博子が「広志君」と呼ぶコロッケは1960年3月に生まれた。博子は熊本市内で病院の看護助手をしていた。1年半前には長女を授かっていた。夫は1歳上の同僚。給料を家に入れないことが多かった。コロッケが生まれてもそれは変わらず、別れることにした。

 「地味でも安定した生活を望んでいました。だから、広志君が芸人になると言ったときも大反対しました」

 正式に離婚したのは数年後だが、まだ20代。いくつかあった再婚話はすべて断った。再び結婚生活に失敗する可能性だってある。なにより、娘と息子に肩身の狭い思いをさせるのが嫌だった。苦しいけど、ずっと3人で暮らしていこう、そう博子は決心していた。

   *

 コロッケと姉はいつも一緒だった。2人とも体が小さく顔つきも似ていた。近所では、不二家のキャラクターになぞらえ「ペコちゃん・ポコちゃん」と呼ばれた。性格はおとなしく、仲間はずれにされたり、いじめられて泣いて帰って来ることが多かった。

 「何度もいじめるので、相手の家に怒鳴り込んだこともありますが、やみませんでしたね。広志君に『たまには泣かせて来なさい』というと、『相手が痛いから嫌』。本当に優しい子でした」

 姉弟の一番の楽しみはテレビ。2人の「テレビ遊び」から、後のコロッケのものまねが生まれる。(敬称略)

このページのトップに戻る