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天才の育て方

脚本家・俳優宮藤官九郎のお母ちゃん 泰子さん:2 女には懲りた?と男子校へ

2007年09月11日

 大みそか。宮藤家では毎年、10大ニュースが披露される。泰子の発案で1971年に始まった恒例行事。担当者が一家に起きた出来事を選び、家族の前で発表する。81年は小学5年の官九郎が担当。

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父・紹平の校長昇進を祝い、家族がそろって記念撮影(手前右が小学5年生の官九郎)

 官九郎が選んだニュースの一つは「かぜひき女のかまくら見物 帰ってくるころにはぴんぴん」。

 「この年、私は友人と秋田県へかまくら見物に行ったんです。前日まで高熱で寝込んでいたので、それでも旅行へ行ったことをからかったんですよ。10大ニュースは面白おかしく発表するんです」

 このイベント、今でも続いている。

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 上の娘2人が進学などで家を離れ、夫・紹平が単身赴任。官九郎は小学5年から中学1年まで泰子と2人暮らし。泰子は官九郎と体を張って遊んだ。

 「プロレスやって体を痛めたり、家の中でサッカーして障子を全部破ったり……。夫はおもしろい人で、怒るどころか『子どもと全力で遊ぶことは良いことだ。もっとやれ』と言っていました」

 目立ちたがりは中学でも。2年の後期から2期連続で生徒会長に立候補して当選。文才も発揮し、新聞社主催の作文コンクール県予選に2年連続で入賞した。

 官九郎の中学の成績上位者は、岩手県の共学校に越境入学するのが常だった。官九郎も受験を勧められたが、地元の男子校を選ぶ。

 「理由を聞いたら『女には懲りた』。笑いました。俊坊(官九郎)は女の子とまともな口がきけない子だったので」

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 高校の文化祭では「宮藤の時間」として特別に30分もらい、自作のコントを披露したり、当時はやっていたCMのパロディーをほとんど全裸で演じたりした。体育祭では花火を挿した大根をヒモでいくつも結び、体に巻き付け火をつけた。修学旅行では頭をそり上げ、暗黒舞踏のようなものを踊った。

 「注意したことや、やめさせようとしたことですか? 一度もなかったですねぇ。それを報告してくれる俊坊の話がおもしろくて……。そういえば、『おだって(ふざけて)もいいから、少しは勉強しなさい』って言ったことがありました。おふざけにお墨付きを与えちゃいましたかねぇ」(敬称略)

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