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天才の育て方

卓球選手福原愛のお母さん 千代さん:1 いつも泣いてたわけじゃない

2007年10月02日

 小さい体でラケットを振り、失敗すると涙を流して、後ろで見つめる母親を振り返る――福原愛といえば今も「泣き虫愛ちゃん」を思い浮かべる人が多い。

 映像が何度も流れたことで「泣き虫……」のイメージが定着したが、実は、愛が試合で泣いたのは4歳のときだけ。千代の顔がこわばっていたのは、テレビカメラに緊張していたからだ。

 「小さな子に無理やり卓球をさせるひどい親だと感じた人もいるでしょう。でも、卓球をやるのは愛の意志なんです」

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 千代は1988年11月、長男と10歳離れた愛を産む。9歳上の夫・武彦は仙台市で会社を経営していた。

 教育には熱心だった。はいはいする愛の目の高さに何枚も50音の表を張り付け、「愛ちゃんの『あ』、愛ちゃんの『い』」と教えた。愛は1歳でひらがなを読み、2歳で書けるようになった。6カ月でスイミングを始めたが、卓球をやらせるつもりはまったくなかった。

 「バレエかバイオリンを習わせたかったんですが、夫が『おれたちの体形を考えろ。短足でバレエができるか』と反対しました。うちは夫が決めたことが絶対なんです」

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 卓球の「英才教育」を最初に受けたのは、中学からラケットを握った長男。武彦は「やるなら1番を目指せ。親が与えられるものは与える」というタイプ。知人に紹介された中国の元チャンピオンに月に1、2度、コーチとして来てもらった。東京からの交通費・宿泊代などかなりかかったが、子どもに使うお金は惜しくなかった。1年後、コーチを仙台に呼び寄せ、毎日指導してもらうようになった。愛はいつも、本を読みながら兄の練習が終わるのを待っていたが、しばらくして自分もやりたいと言い出した。

 「私も長男にかかりきり。卓球をやることで仲間に入りたかったのでしょう。しばらく放っておきましたが、愛は半年間、やりたいと言い続けたんです」

 千代は条件を出した。練習は厳しくやる。毎日続ける。愛にやる気がなくなったらやめる。「それでもやる?」。愛はうなずいた。

 92年8月、愛の卓球人生は3歳9カ月で始まった。(敬称略)

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