現在位置:asahi.com>教育>小中学校>天才の育て方> 記事 津軽三味線奏者、吉田兄弟のお母さん・良子さん:3 「なんでうちは貧乏だったの?」2007年11月20日 良一郎・健一の兄弟は三味線を習い始めたころから、老人会の慰問など、人前で弾く機会が多かった。当時の北海道では幼い兄弟の三味線奏者が珍しく、評判は口コミで広がった。祭りや催しのゲストとして声がかかり、いつの間にか「吉田兄弟」と呼ばれるようになった。 * 兄が小6になり、民謡三味線を始めて7年、小4の弟が5年たったころ、夫の誠一は、津軽三味線を始める時期になったと思った。教わるなら第一人者にと、かつての自分の師匠で、奏者としても名高い家元・佐々木孝を頼った。最初は断られたが何度も頼み込んだ。兄弟の演奏を聞いた家元は入門を許し、自ら教えることにした。 経済的負担は増した。最初に買った中古の細竿(ほそざお)は5万円だったが、次は40万円。そして、家元から譲ってもらった太棹(ふとざお)は180万円だった。バチは1本3万円。皮の張り替えに4万円。吉田家のある地域は霧が深く、湿度を嫌う皮は、張り替えた3日後に破れたこともあった。誠一は手取り約20万円の会社勤め。良子が週に5回、スーパーの花屋で時給500円のアルバイトをして支えた。 「兄弟なので、掛ける2のお金が必要でした。先日、健一に『なんでうちは貧乏だったの』と聞かれたのですが、住宅ローンに加え、三味線のローンと維持費。それに夫の趣味の絵の個展費用。お金がある方がおかしいですよね」 * 津軽三味線大会への参加が、兄弟の意識を変えた。ゴールデンウイークに青森の弘前市と金木町(現・五所川原市)で続けて開かれる二つの全国大会には、同世代の参加者が大勢いた。ライバルの出現にやる気が出て練習に熱が入った。参加2年目の1992年、健一が入賞。弟に先を越された良一郎は猛練習し、翌年はそろって入賞。その後は抜きつ抜かれつ、お互いがライバルだった。 全国大会は演奏時間3〜4分で持てる力のすべてを発揮しなければならない。誠一は大会直前、自宅近くの公民館を借り、司会役まで務めて本番さながらの練習をした。94年、高2の良一郎が中学・高校部門の個人戦で優勝。健一は97年、高3で一般A級個人戦で優勝した。(敬称略) 天才の育て方 バックナンバー |
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