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天才の育て方

津軽三味線奏者、吉田兄弟のお母さん・良子さん:4 子育ては高校までと決めていた

2007年11月27日

 兄の良一郎が高校に入ったころから、吉田兄弟の「営業」が増えた。夫の誠一がマネジャー役。衣装の和服や演奏時に座るいすなどを担ぎ、息子たちを連れ電車やバスで移動した。自家用車を買う余裕はなかった。平日を含め、月の半分が演奏予定で埋まることもあり、そのたびに誠一は有給休暇を使い、良子は学校に病欠届を出した。

 「ただし、成績と出席日数はギリギリでいいから、絶対に高校は卒業させるつもりでした。三味線だけで暮らせない。いつかは就職、と思っていましたので」

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 1996年、高校を卒業した良一郎は東京・浅草の民謡酒場で働き始めた。各地の民謡が弾けるよう自らを鍛えた。2年後、弟の健一も卒業。地元で弟子を取る一方、打楽器など異分野の音楽家と交流し、新しい津軽三味線を模索した。良子も誠一も、進路に口出ししなかった。

 「子育ては高校卒業までって決めていたんです。そこまで必死にやったら、あとは子どもたちが自由に決めること。夫はマネジャー役をすっぱりやめ、健一が卒業した2年後、絵描きになるため55歳で早期退職してしまいました」

 99年2月、弟が東京から兄を呼んで自主制作したCD1000枚は、地元紙に取り上げられたこともあり、すぐ売り切れた。5000枚で大ヒットという民謡の世界。レコード会社が注目しメジャーデビューを果たす。といっても当初のコストを自己負担する「買い切り」契約。誠一は退職金から90万円出して支援した。

 11月に初アルバム「いぶき」が売り出されると、出資分はあっと言う間に戻ってきた。売り上げは10万枚を超えた。

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 屋根のトタンが傷んで雨漏りしていた吉田家は、3年前に新築された。息子たちのプレゼントだ。三味線で成功した息子たち、自分の夢を託して実現させ、趣味の絵も貫いた夫。良子は自分を殺して彼らに尽くしたようにもみえる。

 「犠牲になったとは思いません。子どもと真剣に向き合えるのは、ほんの短い時期。苦しいけど楽しかった。息子たちがここまで成功しなくても悔いはなかったと思います」(敬称略)

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 次回からは指揮者の佐渡裕さんです。

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