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天才の育て方

指揮者佐渡裕のお母さん・つた子さん:1 音を聴かせればおとなしかった

2007年12月04日

 「レナード・バーンスタインの遺志を継ぐ最後の弟子」「クラシックの常識を覆す男」――。情熱的な指揮で熱狂的なファンを持つ日本人指揮者、佐渡裕(46)。その人気は世代や国境を超える。

 つた子(79)はさらりという。

 「とにかく育てやすい子で、何でも自分で決めてしもて。こうしなさいとか言ったことないんですわ」

   *

 夫は中学の数学教師。次男の裕は1961年5月、京都・太秦(うずまさ)で生まれた。

 声楽家で、ピアノ教師だったつた子はむしろ、六つ年上の長男の音感教育に力を入れていた。一日に何時間もピアノを教え、音を聴き取る聴音訓練、クラシックやオペラのレコードも聴かせる。

 裕は、いつもその傍らにいた。1歳になったころ、ふと、つた子は思った。

 「お兄ちゃんは6歳ぐらいになって音がよく取れるようになったけど、まだ真っ白な裕の時期から音を聴かせたら、どんだけ音が取れるんかなあ」

 その日から朝昼晩と1日に3回、ひざにのせて和音を聴かせた。ドミソ、ドファラ、シレソの基本3和音を3分ぐらい繰り返す。その後で和音を開き「ド、ミ、ソ」と聴かせた。

 裕は、じっと目をつぶっていた。

 「音楽家にしようなんてゆめゆめ思てません。ただ、いつまででもおとなしく聴いてくれるんで、こりゃ抱っこするより楽やわと思て続けたんですわ」

 これが「耳」を育てた。

 2歳で音が取れるようになり、ピアノも始めた。3歳には小曲を弾けるまでに上達し、2時間のレッスンも当たり前になったが、裕は嫌がらなかった。

   *

 もう一つの音感教育は演奏会だった。近くでクラシックの演奏会があれば必ず2人を連れて行った。裕はあくまで兄のお供。だが、3歳の裕が兄より感動し、座席に立って拍手することもあった。

 「おかしな子やなあと思てました」

 演奏会の後は、必ずレストランで家族で会食し、タクシーで帰る。

 「特別に大人と同じ扱いにしてあげるんやから、マナーは守ってね」

 後に裕が「絶対道徳」と呼ぶほど、つた子の対人関係のしつけは厳しかった。(敬称略)

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