アテネ五輪で優勝を決め、コーチを肩車して喜ぶ吉田沙保里(2004年8月23日)
2004年アテネ五輪女子レスリング55キロ級決勝。試合終了を告げるブザーが鳴り響く。吉田沙保里(さおり)は左手を観客席に向けて突き上げた。幸代(ゆきよ)(53)は夫の栄勝(えいかつ)(55)と抱き合った。
初めて五輪競技になった女子レスリング。4階級すべてで金メダルを期待されていたが、72キロ級の浜口京子が準決勝敗退、沙保里の試合の直前に行われた48キロ級決勝では伊調千春が涙。プレッシャーは、家族にも重くのしかかっていた。
タックルで攻め続けて判定勝ち。コーチを肩車して万歳しマット上で宙返りして喜ぶ沙保里の姿が、涙でかすんだ。
「信じてはいたけど、やはり心配で心配で……。夫は泣かなかったと言っていますが、涙がにじんでいたように見えました。確認はしていませんけどね」
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幸代が沙保里を産んだのは1982年10月5日。夫婦にとって、3人の子を授かるまでの道のりは苦難の連続だった。
長男出産後に流産を経験。次男を妊娠中には原因不明の病気で一時的に目が見えなくなり、中絶を勧められたこともある。幸代は次の妊娠でも病気に。泣く泣く子どもをあきらめた。ここまでに二つの命を失っていた。そして、沙保里を授かった。
「こういうことを隠す人もいるでしょうが、私は子どもたちに伝えました。あなたたちにはもう2人兄弟がいたのよ。いつも見守っていてくれるのよ、と」
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子どもたちは病弱で病院通いが続く。沙保里は特に弱かった。生後半年で肺炎、腸の病気は手術寸前まで悪化した。ちゃんとゲップをさせても、寝かせるとミルクを噴水のように吐き出した。治療で症状は改善したが、食が細くなった。
今度は幸代。29歳で子宮がんが判明。6年前に54歳の実母を直腸がんで亡くしていた。恐怖が募った。長男6歳、次男3歳、沙保里はまだ1歳5カ月。この子らをおいて死ぬんか。生きたい、と当たり散らした。手術で子宮を摘出。幸い転移や再発はなかった。
「入院は1カ月。夫が子どもたちの食事から、保育園への送り迎え、おむつの洗濯まですべてやってくれました。子どもに望むのは健康に育つこと。それだけでした」(敬称略)