夫の栄勝は3人目も息子を望んだが、幸代は娘が生まれて大喜び。「可愛い名前を」と、アイドルにちなんだ名前をつけた。「さおり」は南沙織から、「保」は河合奈保子から1字もらった。
フリルがついた服など女の子らしい格好をさせたが、男の子と体を使って遊ぶことが好きだった。物心がつくころには「おちんちんが欲しい。立っておしっこがしたい」と言いだす。小学生になると、スカートをはかなくなった。
「生まれた直後、私の父は沙保里を見て『桜の木にぶつけたみたいな、ぺしゃんこな顔だなぁ』って言うんです。ひどいでしょ。沙保里が大きくなってからも言ってましたが、当人はニコニコと聞いている。さっぱりした性格なんです」
*
小児ぜんそくの長男が医者に勧められた体操が、レスリングの準備体操に似ていた。競技経験がある栄勝は、それならと、自宅六畳間にマットを敷いて、長男と次男に基礎を教え始めた。沙保里も3歳からマットの上で遊ぶようになった。
「5歳になると、兄たちの練習を見ながら『お父さんが教えているのと違う』とケチをつけ始めたんです。夫が『生意気言うならお前もやってみろ』と、沙保里にも始めさせました」
栄勝は元全日本王者。モントリオール五輪(1976年)を目指した代表選考試合で敗れた。息子を五輪選手にしたいという気持ちはあったが、女子レスリングが五輪種目になるとは誰も思わない時代。沙保里が五輪選手になり金メダルを取るとは想像すらできなかった。
*
沙保里の最初の試合は5歳。初戦の相手は同い年の男の子。6―7の1点差で負けた。リーグ戦なので、まだ試合はあったが、「負けたから嫌」と言って残り試合を投げ出した。
優勝は初戦で負けた男の子だった。表彰台の一番上に立ち、金メダルを授与される光景をみた沙保里は「私も金メダルが欲しい」と栄勝にねだった。栄勝は「スーパーには売っとらん。頑張った人しかもらえないのや」としかった。
「それから練習にも真剣になりました。翌年は同じ大会で金メダル。頑張った結果が出たからレスリングを続けられたのでしょうね」(敬称略)