現在位置:
  1. asahi.com
  2. ライフ
  3. 教育
  4. 小中学校
  5. 天才の育て方
  6. 記事

レスリング選手、吉田沙保里のお母さん・幸代さん:5 北京へ、この悔しさをバネに

2008年2月5日

印刷

ソーシャルブックマーク このエントリをはてなブックマークに追加 このエントリをYahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

写真世界レスリング女子55キロ級で優勝し、北京五輪行きを決めた(07年9月22日)

 アテネ五輪(2004年)代表争い、55キロ級は沙保里と山本聖子のマッチレースだった。03年12月の全日本選手権と翌04年2月のクイーンズ杯、両方勝てば文句なしに代表。全日本選手権は延長までもつれた末、まずは沙保里が制した。

 アテネがかかるクイーンズ杯1週間前、夫の栄勝は、投げ技の返し方を沙保里に実演してみせた。タイミングが難しく、実際に相手を返せる可能性は大きくないが、自信をつけさせたかった。

 ところが大会前日、沙保里は減量中に熱中症になり39度の熱が出た。

 「医者は欠場を勧めました。でも、夫は『勝てたらラッキー。負けても1勝1敗で決定戦になる』という。沙保里は結局、点滴を打って出場しました」

     * 

 初日を乗り切り、2日目は聖子との決勝。まだ37度5分の熱があった。

 沙保里わずかにリードで迎えた終盤、聖子は逆転狙いの投げを打ってきた。沙保里は教えられた返し技を絶妙のタイミングで決め、アテネを勝ち取った。

 吉田家にとってレスリングは、毎日の食事のようなものだった。しかし、その練習のため、沙保里は友だちと遊ぶ時間が制限された。高校時代までは何度も「やめたい」と幸代に漏らした。

 「五輪行きを決めた後、初めて『レスリングやっててよかった。ありがとう』と言われました。本当にうれしかった」

     * 

 01年の全日本選手権で聖子に敗れたあと、6年余り続いた公式戦の連勝は今年1月、119で止まった。相手は大差で勝ったことのある米国選手。親子とも思ってもみなかった黒星だ。その日のうちに電話があった。泣きじゃくっていた。

 「あなたに負けた選手たちも泣いたはず。この悔しさをバネにするといい、と言いました。おごりがあったのでしょう。これでそれを捨てられる。敗戦が、北京五輪本番でなくて幸運でした」

 沙保里は現在25歳。30歳前には結婚して子どもを産んで欲しいと思う。

 「でも、30歳になるのがロンドン五輪の年ですからねぇ。二つのことを同時に追えるタイプではないので、結婚は引退後でしょう」(敬称略)

       ◇

 次回からソムリエ田崎真也さんです。

検索フォーム
キーワード:


朝日新聞購読のご案内

[PR]注目情報

ここから広告です

広告終わり