現在位置:
  1. asahi.com
  2. ライフ
  3. 教育
  4. 小中学校
  5. 天才の育て方
  6. 記事

ソムリエ 田崎真也のお父さん・英時さん:3 客席での料理盛りつけ係が転機

2008年2月26日

印刷

ソーシャルブックマーク このエントリをはてなブックマークに追加 このエントリをYahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

 2度目の中退後、真也は家を出て働いた。3軒目に勤めたレストランで、客席で料理を盛りつけるサービスを任されたことが人生の転機になった。最初は料理人を目指したが、厨房(ちゅうぼう)で裏方に徹するより、客の視線を浴びながら仕事をするのが性にあった。料理を取り分けるための大きなサーバースプーンとフォークを持って、丸めたふきんと爪楊枝(つまようじ)を交互につかむ練習を繰り返した。

 「次に勤めたレストランに招かれ、真也のサーブ(給仕)で食べました。口には出さなかったけれど、将来どうなるか心配だったので少し安心しました」

   *

 真也は一つの職場に長く勤めるのではなく、スキルアップを目指して職場を変えていった。銀座の店でワインと出合い、六本木の店では、前任者が辞めたばかりのソムリエを任された。ワインの本を読みあさり、身銭を切って一流ホテルで食事し、サービスを研究した。フランス語も独学で勉強し始めた。

 「ワインを学びにフランスに行きたいと言い出しました。僕はソムリエという言葉すら知りませんでしたが、経済発展とともに日本のワイン需要も増えるので、職業として有望だと言われました」

 真也は朝昼晩、異なる三つの店で働いて100万円ため、77年9月、フランスに旅立った。援助はしないと言った英時(つねゆき)だったが、餞別(せんべつ)として20万円渡した。

 ワイン産地のブルゴーニュ、ボルドーをくまなく歩き、書物で得た知識を実地で確認した。3カ月後に1度帰国して資金を稼ぐと78年6月に再び渡仏。日本料理店で働きワインの専門学校に通った。

   *

 80年、銀座のレストランに入社。翌年に開かれた第2回全国ソムリエコンクールで準決勝まで進んだ。順調な仕事の一方で、フランス時代に結婚した妻との間にできた長女が1歳で白血病に。83年、和食店に転職した背景には、治療費が月収を超え、借金が1000万円まで膨らんだこともあった。

 真也は第3回大会で優勝。喜びもつかの間、84年、長女が天に召された。

 「3カ月の命と宣告されながら3歳まで生きたのですから頑張りましたよ、孫も真也も。翌年に次女が生まれ、救われた気がしました」(敬称略)

検索フォーム
キーワード:


朝日新聞購読のご案内

[PR]注目情報

ここから広告です

広告終わり