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天才の育て方

腹話術師いっこく堂のおっかあ・玉城京子さん:3 再び役者に挑戦、決意は固かった

2008年03月25日

 小学4年から野球を始めた一石(いっこく堂)の夢はプロ野球選手。中学でも野球部に入ったが、チームメートに無視されるようになり、それは学校全体に広がった。友人は1人もできなかった。

 京子も夫の吉弘も気づかなかった。一石が「親にも先生にも言えず、こんな人生なら死んでしまおうと思った」と語ったインタビュー記事を読んで驚いた。

 自殺しなかったのは、父母の子ども時代の戦争体験を聞いていたからだろう。京子は移住先のパラオが攻撃され、自決用の手榴弾(しゅりゅうだん)を持って密林の中を逃げ回った。吉弘は南洋からの引き揚げ船が撃沈され、近くの島まで泳いで九死に一生を得た。何よりも生きることが大切、子どもたちにそう話していた。

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 暗かった中学時代だが、のちに人生を変える出会いがあった。テレビで見た交通安全の腹話術。一石は夢中になり、婦警が持っていた人形を欲しがった。

 「どこで売っているか聞くため110番して怒られていました。私もいろいろな店を探したけど見つからず、いつの間にか一石も興味を失いました」

 高校2年のとき、テレビドラマ「池中玄太80キロ」を見て役者にあこがれ、芸能界を夢見るようになった。ものまねを練習しては級友に披露、人気者になった。高校3年でテレビのものまね番組に出場、野口五郎や西城秀樹を演じて全国大会で優勝した。副賞にオートバイや着物、指輪などをもらった。

 「芸能界でも簡単に成功できるんじゃないかと、親子とも舞い上がってしまいました。本当は大学に行って教師になって欲しかったのに、東京に出たいという一石に反対しませんでした」

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 俳優養成コースのある専門学校を3カ月で中退。バラエティー番組の「笑ってる場合ですよ!」のものまね大会に出場するなど芸能活動もしたが、それだけで食べてはいけず、約4年間ほぼアルバイト生活。目標を見失って沖縄に帰り、何をするでもなく数カ月過ごした。

 「今からでも大学に行きなさい、と何度も説得しましたが『もう一度やる。一生アルバイト生活でもいいから役者をやる』と決意は固かった。貯金を解約して50万円渡しました」(敬称略)

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