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天才の育て方

腹話術師いっこく堂のおっかあ・玉城京子さん:4 一気にブレーク、それでも心配

2008年04月01日

 一石(いっこく堂)は1986年、再び上京し劇団民芸に入る。23歳だった。せりふのある役は回って来なかった。

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いっこく堂は35歳でブレーク。自らの芸を「ボイスイリュージョン」と名付けた

 劇団の宴会が転機になった。ものまねを披露したら、ベテランの米倉(よねくら)斉加年(まさかね)が「1人でやっている方が生き生きとしている」と言ってくれたのだ。1年間独り舞台の研究に没頭し、中学時代に夢中になった腹話術を思い出す。

 図書館から教則本を借りて独学していると次々とアイデアがわいた。一般的な甲高い声でなく、低い声でもいいのでは? 教則本では不可能とされているマ行・バ行・パ行が発音できないか? 複数の人形を操り、声を使い分けよう――。のどから血が出るほど練習を続けた。一石と人形たちの劇団「いっこく堂」は92年、福祉施設回りからスタートした。

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 95年、子ども向けテレビ番組に出演したことで仕事が増え、アルバイトを辞めて芸に専念できるようになった。98年にはラジオ番組主催のお笑い大会で優勝、注目されるようになった。京子が一石の芸を初めて見たのは翌年1月。報道番組の「ニュースステーション」だった。

 「うまいなぁ、すごいなぁと、我が子ながら感動しました。司会の久米宏さんにもほめられ、うれしくて眠れませんでした。それでも、やっていけるのか心配でしたが、同じコーナーで松坂大輔選手も取り上げていたんです。それで、なんとかなるかなぁ、と」

 一石はこの年、文化庁芸術祭新人賞などを受賞。一気にブレークした。

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 一石の挑戦は続く。00年には米ラスベガスの世界腹話術フェスティバルに出場、英語で芸を披露した。これを皮切りに、中国、香港、フィリピン、ドイツ、フランス、イギリス、ブラジル、オーストラリアなどでも現地語で口演。腹話術しながら歌うCDも作詞作曲した。

 それでも親の心配は変わらない。今でも、テレビでちょっと見ないと「大丈夫かぁ」と電話してしまう。

 「一石は『いつになったら安心するの』とあきれていますが、直りそうにありません。健康で仕事が続くことだけを願ってます」(敬称略)

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 次回は作家の川上未映子さんです。

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