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天才の育て方

作家・川上未映子のおかあちゃん 利江さん:4 生まれ変わっても、この家族がええ

2008年04月29日

 「何かになろうとか考えたことなんてあらへん」と未映子(31)はいう。

 絵が好きで、大阪市立工芸高校デザイン科へ進んだ。友だちが美大を目指す中、未映子は進学をあきらめていた。

 弟の利明(30)がラグビーの名門、大工大高校に推薦入学。明治大へ進む話もある。家族で話し合い「弟を支えよう」という結論に達した。

 「うちから2人を大学に入れるのは無理。美大に行きたいとわかっていたけど、聞くこともできませんでした」

 高校卒業後、昼間は本屋でアルバイトをしながらバンド活動、夜は北新地の高級クラブでホステスをし、売れっ子になった。稼ぎは、弟への仕送りと自分の通信制大学(哲学科)の学費に消えた。

 弟が大学を卒業した年、偶然、ビクターから歌手デビューの話が舞い込んだ。

 「東京に行く」

 ようやく自分のための人生を歩もうとしている娘。利江(54)は黙って送り出し、1日に6回は電話を入れた。

 2002年に歌手デビュー。だが、売れない。元気のない声が受話器から聞こえてくる。

 利江は上京してみた。

 未映子は幼なじみと一緒に歓迎してくれた。幼なじみの家には実家からローストビーフや無添加のパンが届くという。

 数日後、未映子のもとに段ボールが届いた。開けると、豆や佃煮(つくだに)、スパゲティやクリームパンなど、どこにでもある食品がどっさり詰まっていた。大阪に戻った利江が送ったものだった。

 「何なん? これ。こんなんもう送らせんで……」と未映子は姉に電話をしつつも、涙をぬぐい、つぶれたクリームパンを何日もほおばった。

 まもなく、未映子は大胆にも自分の詩を「ユリイカ」編集長に持ち込み、巻頭掲載を頼んだ。だが、それがきっかけで文学の世界へ。小説を書き始めて9カ月後、2作目で、芥川賞を取った。贈呈式の日、弟が結婚した。賞金100万円の半分は弟に、残りを母と姉に贈った。

 「もう一度、生まれ変わっても、この家族がええわ」

      ◇

 次回からは歌人の斉藤斎藤さんです。

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