全米女子プロ選手権に挑む桃子。今年から活動の中心を米国に移し、まずはツアー1勝を目指す
「このまま親元にいたらだめになる」
2004年の冬、18歳になった桃子(21)は、レッスンプロ江連(えづれ)忠に弟子入りするため、故郷・熊本を離れることを決めた。史上最年少賞金女王(21歳、1億6611万円)につながる「人生最大の決断」と功一(52)は振り返る。
中学時代から注目され、1歳上の宮里藍、横峯さくらとともに全国大会常連だった桃子。だが、地元・東海大二高に入ってからは鳴かず飛ばずが続いていた。
神戸・六甲山地に囲まれた古びたマンション。家賃2万8千円の一室に寝具だけがぽかりと浮かぶ。あたりも暗くなった夕刻、娘を残して熊本に帰る両親と桃子との最後の会話はこんな感じだった。
「ぜったい、見送るなよ」
「見送らないわよ、ぜったーいに」
ところが、功一が車のエンジンをかけると、「バイバーイ」という声が聞こえた。功一と妻八重子(58)が後ろを見ると、4階のベランダに娘がいる。柵(さく)によじ登り、手を振って何か叫んでいる。
功一は車をスタートさせた。もう八重子も後ろを見ない。もちろん桃子の声は聞き取れない。ただ、何を言っているかは分かっている。これしかない。
「がんばるからねー」
「プロテスト、受かるからねー」
上田家はこのころ、経済的に苦しかった。障害がある長女(27)は施設に入っている。長男(20)はサッカーのプロ選手をめざし茨城で下宿生活。アパレルショップ経営が思わしくない中、家族が4カ所に別れて暮らすことは、たいそう重荷だった。桃子もそれはわかっている。
熊本に帰る7時間余り、功一も八重子も葬儀の出棺直後のように黙り込んだ。
「そりゃあ、寂しいし、悲しいし、不安だし、これからどうなるかわからないし。妻なんか、ずっと泣きっぱなし。でもね、その一方で満足感もあったんです。育て方は間違っていなかった、と」
功一が子どもに求めてきたのは「自分で決めたことを自分で正解にする力」。ひとつを選び取り、その自らの決断を納得できるレベルまで持って行け――。
桃子はまず、「選んだ」のだから。
プロテストに1発合格するのは9カ月後のことである。(敬称略・石川雅彦)
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