3歳のころ、母親の仕事先の神戸で
では、蜷川(幸雄、73)がどんな風に「観念」で実花(36)を育てたかをご紹介しましょう。
とにかく変わった親だったんですよ。
「好きに生きていいから、人生の帳尻は自分で合わせろ」とか、「男に捨てられるより、男を捨てる女になれ」とか、むずかしいことばかり教えていました。実花なんか3歳ごろには、わけがわからないまま、「男を捨てる」という言葉を口にしていましたから。
彼がいつも言ったのが、「自分で考えろ」ということ。要するに、なにごとも自分の問題として引きつけて、そして自分で判断なさいと。
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4歳のとき、実花は近所の自由学園幼児生活団に入る。父・幸雄の仕事場である劇場に連れて行かれ、ひとりで遊ぶことが多かった。小学校は公立へ。
幼稚園で、実花の気にいらないことがあったときのことです。教室の前にとつぜん出て、「この幼稚園が嫌いなのでやめます」と宣言したことがありますね。
小学校に入学直後の学校案内ツアーでは、「私はそういう気分ではありません」と教室に残っていたらしいです。先生からは、「おたくはどんな教育をされているんですか」とお説教されました。
学校からは呼び出しはしょっちゅう。下校時に買い食いをします、とか、口笛を吹きます、とかね。でもね、「口笛をかっこよく吹く女はすてきだ」と教えたのは、もともと蜷川なんです。
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幸雄はこんなことを言っている。「父性の理想は、精励と生きるあり方に発揮されればいい」
蜷川と実花は、性格も考え方も、とても似ています。それに顔立ちもね。
小学校時代、5歳違いの妹と実花がけんかをすると、口ではどうしても実花が勝つ。そこで妹が最後に、「お姉ちゃんはパパにお顔が似ちゃって」と言うと、実花はかならず泣いたの。いまでも、泣くかもね。蜷川は複雑な表情でした。
でもね、「観念で結びつく」と言っていた蜷川も、娘たちとの関係には気を使っていましたね。徹夜で帰ってきても、朝食は必ずいっしょに食べるため、ベッドから這(は)ってでも出てきていました。
なんだか蜷川のことばかりですね。次回は、私のことを。
(敬称略、聞き手・石川雅彦)
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