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宇宙飛行士・若田光一のお母さん タカヨさん:3

自分の進路 しっかり考えていた

2009年6月23日

写真小学5年のとき、自宅の庭で野球ごっこ(JAXA提供)

 私たち親は、人様に迷惑をかけなければ光一(45)の好きに生きていいと思っていましたから、どんな人生を選ぼうと、反対はしないつもりでした。でも、彼は人生の節目で、自分の進路についてちゃんと説明してくれましたね。

 光一は好奇心のかたまりで、なんでもやりたがる子でした。そして、そのやりたいことが将来の「夢」になるんです。

   *

 5歳ぐらいのときでしょうか。バキュームカーの作業員になりたいと言い出したことがあります。

 当時の埼玉県大宮市はトイレがくみ取り方式で、大きなタンクを積んだトラックが我が家にやってくるんです。そして長いホースを伸ばして作業をされます。その姿をいつもじっと見ていた光一が、おじさんに話しかけているんです。

 「おじさん、僕、大きくなったら、くみ取りやさんになることに決めたんだ」

 「そうか、じゃ、おじさんといっしょにがんばって働こうな」

 そんな会話をしているんです。

 そのうち、私が使っている掃除機を持ち出して、バキュームカーのまねをし始めました。ホースを伸ばして部屋を駆け回り、なんでも吸い取ってましたね。

 「お母さん、僕、大きくなったらくみ取りやさんになっていい」と聞くもんですから、「いいよー、みんなのお役に立つお仕事だからね」と答えたもんです。

 学校でも、好きなことはどんどんと変わりました。「何の時間が好きなの」と聞くと、小学1年生のときは「給食」でした。2年生では「手渡り」。うんていのことです。3年生になると「ドッジボール」でした。まぁ、算数も国語もテストの点はそこそこ取っていましたから、学校に楽しく通っていてくれるだけでありがたかったです。

   *

 九州大学に進学するときも、大学院に進むときも、日本航空に入るときにも、私たちに相談してくれましたが、さすがに、宇宙飛行士になりたいと言ってきたときは、驚きましたね。せっかく日本航空に入ったのに、とも思いましたよ。でも、よくよく聞いてみると、とても緻密(ちみつ)に自分の人生設計を考えている。首を縦に振るしかなかったですね。

 (敬称略、聞き手・石川雅彦)

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