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囲碁名人・井山裕太のお母さん 宏美さん:3

好きな科目は体育と給食でした

2009年12月22日

写真近所の碁会所で。まわりは年配のおじさんばかり

 弟子になったといっても、裕太(20)は当時小学1年生になったばかりである。一人息子だし、親元を離れて石井邦生九段(68)の家に住み込むわけにもいかない。東大阪市から石井九段の宝塚市まで、通うと片道2時間はかかる。「ネット対局」は苦肉の策だった。

 対局は週に2回、裕太が学校から帰ってきた時間帯に行われた。電話線を利用してテレビに碁盤を映し出し、1時間半ほど戦い、終わってから石井九段が解説する。ところが始めてみると、やむにやまれず始めたネット利用だったが、意外な発見があった。石井九段が言う。

 「彼とは年齢が4まわり違うんです。いかつい顔のおじさんを前にして打つより、私の顔色をうかがわず、ネットだと好きなように打ってくる。結果的に、彼の自由な発想を伸ばしたと思います」

   *

 この時期、石井九段と井山家の橋渡しをしていたのは祖父の鐵文(てつぶん)(78)である。ネット対局でむずかしい囲碁の専門用語が出てくると、石井九段が鐵文に説明し、それを鐵文が裕太にかみくだく。

 ネットだけでなく、月2、3度は大阪・梅田の日本棋院関西総本部などでじかに会って戦う。そこへ裕太を連れてくるのも鐵文。もっとも、鐵文は対局後に居酒屋で石井九段と一献傾けるのが楽しみだったらしい。石井九段は話す。

 「小さいのに甘いものが全然だめな裕太君は、私たちの酒のつまみを食べながら、じっと座って、囲碁界の話題とか戦術とか、ふたりが好きな歴史上の人物の話を興味深そうに聞いていました」

   *

 宏美(47)と父裕(47)は、囲碁に関してはすべて石井九段に任せていた。

 「裕太に言い聞かせていたのは、大人の方々にお会いする機会が多いから、あいさつだけはしっかりするように、と。家に帰れば、外で遊ぶのが好きなふつうの小学生でしたから。勉強? しませんでしたね。好きな科目を聞いたら、体育と給食、と答えていましたから」

 信じられない早さで強くなった裕太は、小学2年生になって参加した全国少年少女囲碁大会の小学生の部で、6連勝で勝ち上がり、最年少優勝してしまう。翌年も連覇。裕太の周囲がどんどんと騒がしくなる。(敬称略、石川雅彦)

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