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囲碁名人・井山裕太のお母さん 宏美さん:4

棋譜を郵送、指導戻るまで考え続ける

2009年12月29日

写真小学6年生でプロ入りが決まったとき、クラスのみんなが寄せ書きをしてくれた

 裕太(20)にとっての最初の「試練」は、小学3年生で少年少女囲碁大会小学生の部を連覇した直後にやってきた。才能が見込まれ、関係者が走り回って、中国・北京で開かれる全国児童囲碁大会に出場できることになったのだ。

 宏美(47)は、「最初は、なんで中国?って感じでした」と話す。

 「テレビ出演、全国大会優勝とつづき、海外へというのですから。私らはただ見ているだけでしたね。なにより、楽しそうなのでずっと安心してました」

 裕太は祖父鐵文(てつぶん)(78)、祖母積子(せきこ)(73)と北京に向かった。参加したのは10歳以下の部で、結果は5勝4敗、60人中29位。「ベスト10ぐらいかな」と思っていた師匠の石井邦生九段(68)はちょっと不満だったが、この大会を機に裕太は一段と成長した。なにより、生まれて初めて年下に負けたことが転機となった。

 父親の裕(47)が話す。

 「裕太も負けるとよく悔し涙を流すのですが、裕太がびっくりしたのは、中国の親は子どもが負けると殴ったりすることらしいです。あらためて囲碁の世界の厳しさを知りました」

        *

 裕太は2002年、12歳でプロ入りする。日本棋院では、趙治勲の11歳に次ぐ史上2番目の若さだった。

 裕太がプロ棋士になってから、石井九段は対戦したすべての棋譜を手書きにして、郵送で自分のもとに送らせた。

 「郵便を私に出し、私からの助言が戻ってくる。この時間のずれが、裕太君の棋風を育てた。すぐに指導を受けるのではなく、手紙が行き来する間はずっとその戦いのことを考えつづけているわけですから。自分で考えてこそ、です」

        *

 07年に名人戦リーグに入る。翌08年、張栩(ちょうう)名人に挑戦する権利を獲得して挑んだが、惜敗。しかし、09年には張名人を破り、念願の名人にたどり着いた。

 「裕太君の才能は、自分のものではなく、日本囲碁界の才能です」

 石井九段の言葉は、そのまま囲碁ファンの「海外での王者に」という願いにつながる。(敬称略、石川雅彦)

        ◇

 次回からは、体操選手の内村航平さんの予定です。

 ◇「天才の育て方」が本になりました。朝日新聞出版から1300円で発売中です。

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