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体操選手・内村航平のお父さん 和久さん:1

寝起きしているすぐ横に体操器具があった

2010年1月12日

写真北京五輪、体操男子個人総合の鉄棒でコールマンを決め、銀メダルをとった内村航平

 《航平(21)の体操人生はコンテナハウスから始まった。1989年1月3日、福岡県・小倉で生まれた航平は、3歳のときに長崎県諫早市に引っ越す。和久(47)が妻の周子といっしょに体操教室を開くためである。》

 妻の実家が諫早で、借りていた土地があったので、そこに船舶運搬用の大型コンテナを四つ並べて、自宅兼体育館にしたわけです。コンテナの間にテントを張ってあって、カラオケボックスと間違われました。よく、お客さんが、「何時からですか?」って入ってきましたから。

 《航平が生まれて5日後に元号が昭和から平成に変わる。両親は「新しい平成という時代をまっすぐに進んでいってほしい」と願い、航平と名付けた。》

 コンテナハウスは狭く、練習場のマットや鉄棒を片づけて、そこに布団を敷いて寝てました。まぁ、寝起きしているすぐ横に体操の器具があるわけですから、航平にとっては自然とそこが遊び場になり、鉄棒にぶら下がったり、マットで前回りしたりしていました。

 でも、才能とかは、全然なかったですね。なかったというより、わかりませんでした。いまでこそ航平が体操選手になってそれなりの成績を残してるから、「さぞかし、小さいころから……」と思われるでしょうが、まったく小柄の普通の子でした。

 《和久は日体大体操競技部出身の元体操選手。柳川商(現在・柳川高)時代はインターハイの種目別のゆかと跳馬で優勝している。周子も短大時代は体操選手だった。》

 諫早で体操教室を始めたころは、家族が生活するので精いっぱいでした。体操教室だけでは生活できなくて、僕がうどん屋でアルバイトをしていたぐらいですから。午後3時ごろまでうどんを作って、それから体操を教える。体操教室が軌道に乗るまで、2、3年はかかったんじゃないでしょうか。

 航平には悪いですけど、最初の子どもだったので、彼は実験台みたいでしたね。体操にしても、子育てにしても、いろいろな教育を試しました。僕も体操のコーチとして初心者、航平も体操選手として初心者。ふたりで試行錯誤しながら、いっしょに成長してきたような気がします。(敬称略、聞き手・石川雅彦)

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