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元プロテニス選手・杉山愛のママ 芙沙子さん:3

コーチとして 練習に追い込む葛藤

2010年8月24日

 順調にランキングを上げ、日本のトップとして活躍していた愛(35)が初めてつまずいたのは、2000年だ。芙沙子(61)は振り返る。「不調といってもこの年ダブルスはランク1位になり、シングルスも30位ぐらいでしたが、自分らしくないテニスだと悩んでしまった」

 きっかけは年初からついたコーチと、テニスのスタイルが合わなかったこと。

 「人間的にはすばらしいコーチでしたが、愛はストレスがたまって、試合も勝てなくなって。私が何か言うと『コーチは2人いらないから、ママは黙ってて』と。それまで母の言う通りにやってきただけ、自分がないんじゃないか、と思い込んだみたいです。25歳、女性として過渡期でもあったのでしょう」

 7月、全米オープンを控えて米国を転戦中の愛から電話があった。「何が何だかわからなくなっちゃったから、早く来て、と」。3週間後にやっと駆けつけると、「フットワークを生かせない、彼女らしくないテニスになっていました」。

 しかし芙沙子は動じない。「愛が『私のテニスをどうしたらいいかママには見えるの?』と聞くので、『見えるわよ』って。彼女のテニスを理解していたし、やり直す自信はありました」。その秋、芙沙子は正式に愛のコーチになった。

 まず取り組んだのはトレーニング法の改善だ。大学スキー部時代からトレーニングや身体改造に興味があった芙沙子は、ツアーで出会う選手、コーチからも情報収集するなどして研究。愛はそれを実践した。並行して「テンポよく攻める愛らしさを取り戻す。さらに正しく体を使った動きを身につけさせました」。

 それまでの自然体の子育てでは済まない部分もあった。「母親としては彼女のできる範囲でいいじゃない、と思う。でもコーチは、たとえ選手が疲れていても練習に追い込まないといけない時もあります。母親の私は愛に過剰な期待をしてこなかったのに、コーチとしては、もう少しできるのでは、と。1年ぐらい葛藤(かっとう)していました」

 結果が表れるまでの7、8カ月は、愛もなお苦しんでいた。「テニスを辞めたい」と初めて漏らした娘に、芙沙子は「そのぐらいで辞めたらどんな仕事もできないわよ、と言ったんです。それまでの彼女は順風満帆、怖いぐらい。良いときばかり続くわけはないのです」。(敬称略、大庭牧子)

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