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プロサッカー選手・遠藤保仁のお母さん ヤス子さん:2

ボール蹴り、ヨチヨチ歩きのころから

2010年9月14日

 鹿児島市中心部にほど近い北埠頭(ふとう)から、波のおだやかな錦江湾をフェリーで15分。御岳が今も噴煙を上げる桜島で、遠藤保仁(30)は育った。

 六つ上に拓哉(36)、四つ上に彰弘(34)。夫の武義(62)は3番目に女の子を望んだが、1980年1月28日、生まれてきたのは3150グラムの元気な男の子だった。拓哉は大学選抜や実業団で活躍し、彰弘はアトランタ五輪に出場した元Jリーガー。のちにサッカー界で知らぬ者のいない存在となる「遠藤3兄弟」だ。「看護師さんが別の家族とまちがえて『女の子ですよ』って。主人はぬか喜びさせられたみたいですね」。ヤス子(62)は笑いながら話した。

 サッカーは桜島の「町技」だ。ほとんどの男の子がスポーツ少年団でサッカーボールを追いかける。「桜島町が2004年に鹿児島市に編入されるまでは、防災無線で少年団の試合結果が流れたり、大きな大会に進むと町から旅費の援助があったりね。種子島出身の主人は高校まで野球部だったので、ひとりぐらい野球をしてほしかったみたいですけど」

 長男の拓哉が小学校3年でサッカーを始めると、武義は庭をミニゲームのできるスペースに整地した。「ヤットはヨチヨチ歩きのころから、兄や近所の幼なじみとボールを蹴(け)っていました。ぜんぶ見て覚えたと思いますね、『兄貴たちにセンスがあってよかった』って言いますから」。憧(あこが)れの選手を問われると、保仁は今でも「ふたりの兄」と答える。小学校3年で少年団に入ったときには、「みんながボールに殺到してダンゴ状態になるのに、ヤットだけ離れたところでボールが出てくるのを待っていたんですよ」。

 小学校は6年間、皆勤で通した。一度だけ39度近い熱を出したが、「泣くんです、『学校を休むとサッカーができない』って」。不憫(ふびん)に思って先生と相談して登校させたら、「夕方には元気になってね、ちゃっかりサッカーをしていました」。6年の夏には県内を中心に約150チームを集めた大会で優勝し、最優秀選手に選ばれて「マラドーナみたいな選手になりたい」と話した。

 桜島の人たちからは「ヤットが蹴る姿は小学校のころから変わらんね」と言われる。「どこの親も『叱(しか)っちょったからね』『夕飯はうちで食べさせとくからね』って。子育てに手はかかりませんでした」(敬称略・田中順子)

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