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演出家・宮本亜門のお父さん 亮祐さん:5

誇らしい 本当にぼくの子かな

2010年11月2日

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 「母親は五木ひろしのファンでね」。テレビから流れる「倖せさがして」を亮祐(83)と二人で聴いた夜9時すぎ、母・須美子は「ちょっと行ってくる」と、近くに住む亜門(52)のマンションに向かった。出演2作目となるミュージカル「ヘアー」の幕が上がる前日だった。

 亜門から「お母さんが倒れている」という電話を受けて亮祐が家を飛び出すと、目の前を救急車が通り過ぎた。「いっしょに見に行く友だちと連絡を取り合うのに忙しくて、高血圧の薬を飲み忘れたんだと思う。突然の死でした」。1980年4月4日、亜門は22歳だった。「ふだんと変わらない安らかな顔でね。なんだかたまらなくなって」。亮祐は須美子にキスをした。のちに亜門は「その姿にノックアウトされた」と語った。「苦労はかけたけど、愛していたんだって伝わったのかな」。父と息子のあいだのわだかまりが氷解した瞬間だった。

 残された二人はしばらく呆然(ぼうぜん)としていた。須美子が最後に着ていた服を枕に巻き、奪い合うようにして眠った夜もある。「ぼくは店も人まかせにして飲んでばかり。生きていてもしょうがないような気もしてね。亜門はこのままではだめになってしまうと思ったんでしょう、ニューヨークへの留学を決めました」。見送りに行った空港で抱き合い、励まし合って帰ってくると、「元気を出して生きていこう」と書き置きがあった。「亜門の親はもうぼくひとり。自暴自棄になってちゃいけないと気づかされたね」

 亜門は87年に「アイ・ガット・マーマン」で演出家デビューを果たした。亮祐はいつも必ず初日の客席に座ることにしている。2001年のアメリカ同時多発テロの直後にニューヨーク郊外で「アイ・ガット・マーマン」を上演したときにも、がらがらの飛行機を乗り継いで駆けつけた。「ぼくは亜門が誇らしいんだ。ほんとうにぼくの子かなって思うね」

 亜門はいまや「趣味は親孝行」と言ってはばからない。「うれしいけど、もうじゅうぶん。ぼくは亜門の元気な姿を見るだけで幸せなんだから。ぼくらは楽天家なところが似ているんじゃないかな。人生は深く悩むには短すぎる。この年になって、いまがいちばん楽しく、幸せだと思うね」(敬称略・田中順子)

        ◇

 次回は、バイオリニストの川畠成道さんです。

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