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プロボクサー・内藤大助のおかあ 道子さん:2

いじめを見返したいという意地

2010年12月14日

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 「大助が強いボクサーになれたのは、いじめがあったから。見返してやりたいという意地が大助を世界王者にしたと思います」。道子(69)はそう話す。

 大助(36)が生まれ育ったのは北海道・洞爺湖町の隣町、豊浦。離婚した道子が長男の義隆(40)を連れて実家のある豊浦に戻ってきたとき、大助はまだ道子のおなかのなかだった。出産後はアルバイトで親子3人の生活を支えた道子。やがて、土木工事や造林のために長期滞在する作業員向けの民宿を始める。「安く泊まれるのが売りの小さな民宿だから、生活は楽じゃなかったですよ」

 小学生になった大助は、マラソン大会や運動会の駆けっこでは必ず1位。剣道や水泳など、スポーツなら何をやっても抜群にうまかった。「私の高校時代の制服のスカートをはき、かつらをかぶって、兄とふざけるひょうきんな面もありました」。明るい大助はクラスの人気者だった。

 ところが、中学2年のクラス替えをきっかけに、いじめの標的にされる。「そのころの大助は身長140センチちょっと。スポーツで大助にかなわなかった友だちの背が伸びて、体格に差ができると、いじめられるようになったそうです」

 休み時間のたびに階段の踊り場で蹴りを入れられ、給食のおかずを取り上げられた。学校近くの林で集団から殴る蹴るの暴力を受けて、大声で泣いたこともある。スキー教室で兄のお下がりのウエアや板を使えば、同級生から「ボンビー」とあだ名された。「まだ使えるのに粗末にすることはない。余裕があるわけじゃないんだから、みえを張ることはないというのが私の考えでした」

 仕返しが怖くて教師には相談できず、気の強い道子に「やり返してこい」と言われるのを恐れて、大助はひとりで耐えた。「そのころは血の気も多かったから、いじめられていたことを知っていれば黙っていなかったでしょうね。でも、ボクサーになった大助が祝勝会で話すのを聞くまで、まったく知りませんでした。気づいてやれなかった自分のふがいなさに腹が立ちます」

 ついに大助は胃潰瘍(かいよう)を患うが、「長男も胃腸が弱かったので、体質だろうと思っていました。母親失格ですね」。

 担任には近くの市の高校でも合格できると勧められたが、大助は地元の高校を選んだ。「いじめグループが進学する高校を避けたと、あとで知りました」(敬称略・田中順子)

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