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プロボクサー・内藤大助のおかあ 道子さん:4

ほめそやすのは趣味じゃない

2010年12月28日

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写真:ポンサクレック選手を破り、初のWBCフライ級王座に就いた内藤大助(中央)=2007年7月18日、東京・後楽園ホール、小宮路勝撮影拡大ポンサクレック選手を破り、初のWBCフライ級王座に就いた内藤大助(中央)=2007年7月18日、東京・後楽園ホール、小宮路勝撮影

 大助(36)はことあるごとに「おかあには一度もほめられたことがない」と話す。道子(69)にしてみれば「よくやった、ぐらい言いますよ。でも、ほめそやすような育て方は趣味じゃないから」。

 1998年12月に全日本フライ級新人王になったときも、「まだ上があるんだから、有頂天になってるんじゃないよ」とくぎを刺した。「自分の選んだ職業でしょう、よくやってあたりまえ。みなさんの応援があってこそなんだから、謙虚な気持ちを忘れないでほしい」

 2007年7月18日。東京・後楽園ホールには「夢に打ち込め 郷土の星」の横断幕が掲げられた。WBCフライ級世界王者ポンサクレック・ウォンジョンカム(33)との3度目の対戦だ。02年4月の初挑戦では強烈な右パンチを受けてKO負けを喫した。1回34秒。日本選手が出場した世界戦での最短記録になってしまった。05年10月の2度目の対戦は負傷のため判定負け。だが、雪辱を期した3戦目ではポンサクレックより13センチ長いリーチを生かして主導権を握り、判定で悲願の王座をつかんだ。「対戦相手は正々堂々とした紳士的な選手。ほんとうにいい試合でした」。チャンピオンベルトを巻いた大助はリングでうれし泣きした。

 09年11月29日に亀田興毅に敗れてタイトルを手放したとき、一度は引退を決めた大助。ところが、年が明けると現役続行を表明する。「何やってんだ、一度決めたらちゃんと引退しなさいと言いました」。勝負は時の運、負けたものはしかたないと言う道子に、大助は「悔しくってね、すっきり辞められない」。

 今年5月9日、再起戦のスーパーフライ級10回戦に臨んだ大助は、タイのリエンペット・ソー・ウィラポンに5回KO勝ちした。だが道子は、大助の引退は遠いことではないと感じている。「人生、そう何度も花が咲くことはない。引き際は美しく、惜しまれてやめてほしい」

 大助は「おれがあるのは、おかあのおかげ」と言う。こまめに電話や贈り物をよこし、「面倒みるから楽すればいいんだ」とも言ってくれる。「ほったらかしで何もしてこなかったのにね」。いじめにもくじけず、自分の道をつかみ取った大助。面と向かって伝えるつもりはないが、道子は内心、「たいしたものだ」と思っている。(敬称略・田中順子)

    ◇

 次回は、作曲家の岩代太郎さんです

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