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きょういく特報部2009

広がる「強い指導容認論」 最高裁が熊本の体罰認定破棄

2009年5月3日

 けって逃げた小2の児童を追いかけ、胸元をつかんで壁に押し当てる――。7年前の熊本県天草市の男性講師の行為をめぐり、最高裁は4月28日、体罰に当たるとした一、二審を覆し、「教育的指導の範囲内」と判断した。教員の強い指導を求める流れが強まる中で示された司法判断。学校現場に影響を与えるのか。

 【訴訟で違法性が問われた行為】

 02年、当時小2だった原告の男子が、休み時間中に廊下で友達と一緒に通りかかった女子をけり、さらに、注意した臨時講師の尻をけって逃げた。講師は追いかけて捕まえ、洋服の胸元をつかんで壁に押しつけ、「もう、すんなよ」と怒った。手を離すと、男子は反動で階段の上に投げ出され、手をついて転ぶ形になった。

 体罰をめぐる法律の規定は学校教育法11条にある。「教育上必要があると認めるときは、児童生徒および学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない」。しかし、何が体罰に当たるのか、具体的な記述はない。

 長い間、判断基準だったのが48年の法務庁(法務省と内閣法制局の前身)の見解だ。体罰の例として「身体に対する侵害」「長時間の直立など肉体的苦痛を与える懲戒」などを挙げる一方で、「機械的に制定できない」「あらかじめ一般的な標準を立てることは困難」などとしている。

 こうした中、文部科学省は07年に出した通知で一歩踏み出した。「体罰はいかなる場合も行ってはならない」としながらも、物理的な力の行使について「その一切が体罰として許されないというものではない」とした。今回の最高裁の判断と重なる内容だ。

 通知の背景には、安倍晋三内閣で設けられた教育再生会議の議論がある。いじめが問題となった後に出された報告では「暴力など反社会的行動を繰り返す子供に対する毅然(きぜん)たる指導」をうたった。

 文科省が確認した07年度の全国の学校での児童生徒の暴力行為は約5万3千件で、小中高のすべてで過去最多だった。教師に対する暴力も約7千件にのぼる。問題行動の増加を、教師が昔のように厳しく対処できないのが原因とみる向きもある。

 「愛のムチ条例、愛ゲンコツ条例ができないのか」。宮崎県の東国原英夫知事は08年6月、そう話して物議をかもした。大阪府の橋下徹知事も08年10月、教育問題についての討論会で「口で言って聞かないと手を出さないとしょうがない」と発言している。

 現場から見た今回の判決はどうか。北関東の公立中学校の校長は「小2の子どもの胸ぐらをつかむのは、やはりやりすぎだ」と話す。とはいえ「昔の親だったら、先生に怒られたと聞けば教師以上に子どもをしかってくれたが……」との思いもある。

 体罰ととらえるかどうかは、親と学校の信頼関係によって変わる。しかし、最近の保護者は、子どものやったことはさておき、学校の責任を言い立てる傾向が強まっていると感じる。

 「かっとしたら負けだよ」。教員には、普段からそう言い聞かせているという。

 ◇力より言葉の指導を

 今回の判決は、あくまで訴訟の対象になった講師の行為を判断したものだ。しかし、結果として、体罰に肯定的な雰囲気が学校現場に出てこないか、不安を感じる。

 体罰に及んだからといって、子どもの成績が格段に良くなったり、本当の意味で行いがよくなったりするわけではない。体罰で不登校になった子どもだっている。

 体罰は子どもに恐怖心を植え付けたり、心に傷を残したりする。人を屈服させるのは暴力的な行為が効果的だと思わせるかもしれない。力で安易に解決しようとする、乱暴な人間に育たないだろうか。

 こうした思いをきれいごとだと言う人もいるだろう。しかし、少なくとも戦後、教育の世界は「言葉」を介した指導に変わった。次世代を担う子どもたちが体罰で言うことをきかされているようなことがあるとすれば、耐えられない。

 言葉を介する教育は、本当にしんどいことだと思う。しかし、分かりやすく何度も何度も言って相手に理解させる、その過程が大事ではないか。遠く険しい道こそ教育の指導というもの。そして、それを後押しするのが保護者だと思う。

 ただでさえ、教員に対する周囲の要求は高くなっている。言葉を効果的に使うには、一定の時間的な余裕が必要だ。仕事がやりやすくなるよう、環境を整えることも必要だろう。

 (編集委員・山上浩二郎)

 ◆識者の見方

 ○判断後退したのは問題

 喜多明人・早稲田大学教授(教育法学) 一、二審より後退した残念な判断だ。「たたく、なぐる」だけでなく、威圧や恫喝(どうかつ)といった精神的苦痛を与えることも体罰と私は考える。実際、それが子どもの権利侵害であるとして、子どもの権利条約にも盛り込まれている。

 もともと、日本の裁判所は、国際条約を判断の際の基準に取り入れない傾向があり、問題だ。

 もう一つ注目すべきは、この裁判の当事者になったのが学校で立場が弱い講師だったこと。教育委員会や校長、教頭らによる調整は十分だったのだろうか。裁判になる前に保護者との関係を改善できるよう、もっと粘り強い対応をとるべきだったのではないか。

 ○教師を追いつめず穏当

 元中学教員で「プロ教師の会」を主宰する河上亮一・日本教育大学院大学教授 穏当な判決だ。教師が軽んじられ、言葉だけで子どもが従ってくれる時代は終わっている。それでも学校は、一人前の大人にするため指導しなくてはならない。けがをさせていいわけはないが、成り行きで起きたであろう程度の行為まで責任を重く問われれば、教師は「やってられない」という気持ちを抱いてしまうだろう。

 「ゼロトレランス」(寛容度ゼロ)と呼ばれる、罰則で規律を厳しく守らせるような指導法をとるのか。保護者を含めた社会全体で、先生の言うことを聞くような世論をもう一度醸成するのか。解決策を考えないと、現場はますます追いつめられてしまう。

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