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紙上特別講義

国際協力とボランティア:2(近藤准教授)

2007年10月06日

 紛争地に普通の市民が出かけ、寄り添うことが人々の支えになるのです。

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 疲れ果てた現地の医療スタッフ。私たちに悩みを打ち明けました。

 ●おさらい

 国際ボランティアをする際、専門的な知識や技術があるのは当たり前として、現地の人や他のスタッフと調和できるコミュニケーション能力があることが大切だ。異文化の中で「他人に助けられる自分」と向き合うような経験が、こうした資質を磨く。

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 私が20代のころ、若者の間で海外を貧乏旅行するのがはやり始め、私もアジアの国を旅しました。自分のことで精いっぱい。国際協力など考えたこともありませんでした。

 バンコクに滞在中、貧しい地方から出てきて屋台でソムタム(パパイアサラダ)を売る10代の少女たちと出会いました。私にタイ語を教えてくれ、彼女たちなりの方法で助けてくれました。前回、「援助されなければ生きていけない自分と向き合う経験が必要」と話しました。まさにそういう経験でした。

 タイ語を話せるようになると、同じ10代でも、外国人を相手に水商売を強要されている少女たちとも知り合いました。彼女たちはエイズウイルス(HIV)やほかの病気にかかり、今では誰も生きていません。

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 30代のとき米国で4年暮らし、タイが恋しくなって舞い戻り、修士課程で保健学を学びました。修了時に国際医療NGOのAMDA(岡山市)に連絡し海外派遣を希望したのは、「世界の色々な人にお世話になった。何かしないとバチが当たる」と思ったからです。

 紛争が起きていた欧州のコソボにコーディネーターとして派遣されました。最初の仕事は、国際機関との会議と活動の調整、診療所で働く現地スタッフや通訳を探すことでした。いずれもコミュニケーション能力がものをいいます。診療所スタッフは、村のリーダーに地元の医師や看護師を紹介してもらい、その人たちにまた友達を紹介してもらいました。

 現地スタッフは、自分自身が紛争で家や身内を失い、難民生活の中で仕事をして疲労困憊(こんぱい)しています。そのうえ、治療の過程で患者から悲惨な話を聞き、心の内を打ち明けることもできません。

 信頼関係ができると、日本から行った私たちに愚痴や悩みを話すようになりました。外国からの支援者は、そこでずっと生活するわけではありません。悲惨な体験もしていません。難民生活のつらさも知らない相手だからこそ、話せることもあるのです。診療所を訪れる時はおいしい紅茶を持参して、ゆったりと会話するように心がけました。

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 99年の和平合意=キーワード=後は世界中から軍隊が人道支援に来ましたが、空爆の記憶が生々しいコソボの母親たちは軍人に抵抗感がある。「爆弾を落としておいてなんだ」と。一方、住民と同じ服装の支援者には「遠い国の普通の市民が私たちのことを気にかけている」と感じ、安心するのです。

 私は住民に、「日本人のあなたがここに来たということは、コソボで起きていることを日本の人も知っているということ?」と何度も尋ねられました。普通の市民が支援に行くことの大きな意味を感じました。

 最近、中国の大学で、医療従事者をめざす学生たちにHIVの予防と看護ケアを教え始めました。豊富な経験を持つタイの看護師らから学んだことを他の国に広げなければ、やはりバチがあたると思うのです。

 ◇キーワード

 〈99年の和平合意〉 北大西洋条約機構(NATO)軍による空爆後の99年、旧ユーゴ軍がコソボから撤退し、和平合意が成立した。国連安全保障理事会の決議で、国連コソボ暫定行政支援団(UNMIK)による暫定統治下に入った。アルバニア系住民の求める独立など、地位をめぐる協議は先送りされた。

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