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死生学:3(藤井准教授)

2009年2月21日

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写真大学院の藤井ゼミ。それぞれの死生観を語り合う=兵庫県西宮市、南部泰博撮影

写真藤井先生が死生学を学ぶ原点になった手紙。送り主はホスピスケアの先駆者柏木哲夫さんだ

 死は終わりではない。大切な人との関係は続く。それが生きる力になる。

    *

 自身や大切な人の死を、身近に感じたのはどんなときですか。そのときどう死と向き合い、その経験は人生にどういかされていますか。

 自身や大切な人の死とどう向き合ったのか。10〜90代の150人近くから答案をいただきました。延命治療をせず死を迎えようとしている方、死に直面して生を懸命に全うしようとしている方、友人との突然の死別を経験して人づき合いを大切にするようになった方……。さまざまでした。一部を紹介します。

 ○がん摘出、死を見つめて考えた幸せ

 奥井章子さん(47)=会社員、大阪府豊中市

 3年半前に乳がんを患い、摘出手術を受けるまでは、生と死、人の幸福について考える機会はほとんどありませんでした。今思えば、なんと漫然と暮らしていたのかと感じます。まだ自分に時間が残されているうちに気づけたのは、病になったことによる幸いと言えるかもしれません。

 だれも死から逃れることはできません。死を見つめることで、人間関係の彩りが鮮やかになりました。幸せとは何かを考えたときにたどり着いた答えは、人のために何かをすることでした。自分にどんな才能があり、なにができるかはわかりませんが、私なりに模索していくしかありません。

 死を意識した結果、身辺整理をし、不要なものをそぎおとす。そうすると、物に囲まれて暮らしていると見落としがちになることに気づき、心がとぎすまされ、広がっていくのを感じます。両手で抱えられる物は有限ですが、心を広げて包み込む能力は無限だと感じています。自分の心をどれだけ深く広くのばせるか。それが死と向かい合う私の課題でもあり、楽しみでもあるのです。

 ○みとった母、別れでなく旅立ち

 竹下美穂さん(29)=看護学生、大阪府八尾市

 「もういいよ。ありがとう。いってらっしゃい」。4年前、がんと闘い抜いた母が息を引き取る瞬間、私の心にわいた言葉です。死は別れでなく旅立ち。母をみとった経験からそう思うようになりました。

 母の余命が3カ月と宣告されるまで、「死」は怖くて悲しくて、考えることもできませんでした。しかし、余生をどう生きるか考える時期だと医師に告げられ、母がホスピスで過ごすことになってから、考えが変わりました。死を受容できたわけではありません。簡単にはできません。しかし、母が最期をどう過ごすかは、私がどう見送るかに続いていました。家族と別れて逝く母を思うとつらい。だからこそ、最後の一呼吸まで見守り、温かく見送ることが私の役目と考えるようになりました。

 その役目を果たしてねと言わんばかりに、母は旅立ちのときパッと一度だけ目を開けました。いってきますの合図だったと、目に焼きついています。痛みと苦しみから解き放たれ、母はどこにいき、どこにいるのだろう。再会を楽しみにこれからも生きていきます。

 <講評>

 《奥井さん》私も病気で死に直面したとき、生にも直面しました。生きることの意味を求めていくなかで死生観は変わります。「人のために何かしたい」という思いは、何のために生きるのかという問いに懸命に向き合って生まれたのでしょう。心を広げられれば、目の前の物ではなく、見えていなかった大切なものに気づきます。生きるうえで新しい課題を見つけた喜びが伝わってきました。

 《竹下さん》母の闘病、自身のみとりによって、死の受け止め方が変わった様子が伝わってきます。死が終わりでなく、大切な人との再会でもあると感じているのは、見送る役目をしっかり果たされたからでしょう。喪失感や悲嘆は深く、死を容易に受容できるものではありません。それでも、母と娘の深い「関係性」が、今を生きていく力につながっているのですね。大切な人との関係性は死後も続くと、私も考えています。

 (関西学院大准教授 藤井美和)

 ◆先生に質問!

 《記者からの質問》

 自身の大病や大切な人の死を経なくても、死と向き合えるものでしょうか。

 《藤井准教授の答え》

 自身の死(一人称)、大切な人の死(二人称)、ニュースで見る死(三人称)。死をどの立場でとらえるかで、その意味や感じ方は大きく違ってきます。

 ある答案は、急病で一命をとりとめた母について「何もできなくていい。ただ生きてくれていることに感謝する」と書いていました。存在そのものへの愛は三人称の立場では生じにくい感情です。

 でも、自分には遠いものと突き放さず、「もし当事者だったら」と考えられれば、愛の一端を感じられるかもしれません。これは大切な心がけですが、自身の死生観を磨いていないと難しい。

 あなたと似通った、共にいると居心地のいい人とだけでなく、多様な人の生き方にも触れてみてください。死への向き合い方は違ってくるはずです。

 《記者から》

 若い人からの答案の多さに驚きました。神戸市の啓明学院高校では授業の課題にしてくれたそうで、8通が届きました。1人は祖母を亡くした経験をつづり、「いなくなった後に大切さを感じるんじゃなくて、一緒にいられる時、一瞬一瞬を大切にして生きたい」とまとめていました。いつでも会える関係が途切れたときの喪失感を経験し、今の生につなげている高校生がいる。藤井先生ともども、目が潤んでしまいました。

 次は立命館大の立岩真也教授が「停滞する資本主義」について語ってくれます。(市原研吾)

 ○もっと知りたい人へ

 「たましいのケア」(藤井理恵、藤井美和著、いのちのことば社)▽「おおきな木」(シェル・シルヴァスタイン、篠崎書林)▽「〈生きる意味〉を求めて」(ヴィクトール・E・フランクル、春秋社)▽「河辺家のホスピス絵日記」(河辺貴子、山崎章郎著、東京書籍)▽「あなたは、子どもに『死』を教えられますか?」(ダナ・カストロ著、作品社)

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