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ただ生きられる世界に:3(立岩教授)

2009年3月21日

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写真立命館大大学院の立岩真也教授=京都市北区、伊ケ崎忍撮影

 「機会」の平等を整えても、「結果」の不平等は残る。両方に対処を。

    *

 「結果の平等」と「機会の平等」。二つの考え方のバランスを、これからの社会ではどう取るべきだと思いますか。具体例を交えて。

 立岩教授は2回の講義で、働けないからといって自分の存在まで否定してしまうような社会はおかしいと訴え、多くあるところから少ないところへの「分配」の大切さを説きました。宿題への答案にも、格差の広がりを問題視し、社会の別のあり方を提案するものが目立ちました。一部を教授の講評とともに紹介します。

●まず「職につける」ようにして

 大学1年、高橋有佳里(19)=大阪市住之江区

 不況や学生の内定取り消しのニュースを見ていると、自分の就職活動がとても不安になる。大学の教養課程では、ワーキングプアなどの問題に関心を持って学んでいる。思うに、労働とは本来、生活を安定させ、次のステップに進んで自己実現するための手段であるはずだ。

 その手段が保証されるかわからない私にとって、就職というスタートラインに立つための「機会の平等」は重要だ。スタートラインに立てないと競争にも参加できず、やる気も能力も発揮できない。

 女性が就職し、働き続けることは、まだまだ厳しい状況にある。幼なじみには、母子家庭であるとかさまざまな理由で、大学教育の機会に恵まれなかった人もいる。

 もちろん、人生は何が起こるかわからないので、セーフティーネットとして格差を是正する「結果の平等」も必要だと思う。

 「機会の平等」と「結果の平等」のより良いバランスを考えていかなければ、スタートラインの不平等はいつまでも次世代に続いていくと思う。

●個人の事情に応じ、多様な雇い方を

 主婦、山之口真理子(53)=大阪市城東区

 ここまで競争社会が進んでしまうと、どんなに働いても報酬は一定にするといった、共産主義のような社会に変われるものではない。かといって、今のままできる人がより多く取ることを認めてしまうと、景気がよくなって全体のパイが広がらない限り、格差はどんどん広がるような気がします。

 企業側、雇い主側は、あらゆる人間にはあらゆる差があるということを前提にして、多様な雇用形態を考えてほしい。例えば、働ける時間と能力に応じて何段階かの窓口を用意してはどうでしょうか。子育て中の女性、自宅で家族の介護をしている人、バリバリ働く気力のある若い男性と、いろいろな家庭環境にある人たちが同じ職場に集まる社会が望ましい。

 給与の差ができるのは仕方ない。でも、年金や有給休暇など社会保障や福利厚生はしっかりしてほしいし、家庭環境が変われば、非正規から正規雇用に移ることもできるような柔軟性もほしい。そのくらいは企業側、雇い主側に政府が義務づけてもいいと思うのですが。

<講評>

 《高橋さん》この社会は機会の平等のためにすべきことをしてないという現実が確かにあり、その実行が大切というのはその通りです。ただ、それだけでよい、あとは「自己責任」とされるとまずいだろうと。機会の不平等が見えやすかった時代には「自分のせいじゃない、貧乏のせいだ」とか言いやすかったのが、簡単にそう言えないのが現代人のつらいところでもあります。高橋さんの言うとおり「バランス」が大切ですよね。

 《山之口さん》雇う側をそのままにしておいたら変わらないから、何か義務づけるのがよいというのはもっともです。その上で具体的に何をするかです。常勤でも非常勤でも同じ仕事をしているなら同じに扱えというのが一つ。これは雇う側も本来は受け入れられる条件です。その上でも市場で格差は残るので、別建てで対処するしかない。前回話したように、合わせ技でいこうということです。

◆先生に質問!

《記者からの質問》

 働きや能力で得るものに差ができることに疑問を持ったのはなぜですか。

《立岩教授の答え》

 よく聞かれますがよくわかりません。ただ、できるできないはどうしようもなくあって、基本はそれだけで、それで損得が生じるのはおかしい、という感覚はわりと早くからあったと思います。田舎の、地域の子はみな行く学校にいたから、学力の差は大きくて、でもだからどうなの、というところがあったかもしれません。そして、学問や社会思想というより音楽や映画や小説からの影響があると思います。そこらにあるのと別の価値観の方がよいと言われ、はいそのとおりと思ったということです。

 その上で、なぜ、おかしなことが仕方のないことだと、さらには正しいことだとされているのだろう、不思議だ、調べて考えてみよう、みたいな感じで、「学問」を始めたんだろうと思います。

○もっと知りたい人へ

 「私的所有論」(立岩真也著、勁草書房)▽「税と正義」(リーアム・マーフィー、トマス・ネーゲル著、伊藤恭彦訳、名古屋大学出版会)▽「流儀」(稲場雅紀、山田真、立岩真也著、生活書院)▽「ニーズ中心の福祉社会へ」(上野千鶴子、中西正司編、医学書院)▽「希望について」(立岩真也著、青土社)

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