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【英語を旅する】
英語の発達(8)寺澤盾 東京大学大学院助教授 ノルマン征服以降、表舞台から退いていた英語は13世紀以降徐々に復権を果たしたが、近代英語期になると著しい発展をとげることになる。英国ではヨーロッパ大陸より少し遅れ、16世紀頃から文芸復興、いわゆるルネサンスが始まる。英国でもギリシア・ラテン古典研究が盛んになり、その結果としておびただしい数の古典語が英語の語彙 (い)に入ってくることになった。この時期に英語に借用されたラテン語は約1万語とも言われる。(ただし、その半分は今日の英語には伝わらず廃れてしまった。)そうしたラテン語の中にsecure(安全な)があるが、実はこの単語はすでに中英語期にフランス語を経由して英語に取り入れられている。sure(確かな)は、secureと同じラテン語起源であるが、フランス語を経て英語に入ったために語形・意味が異なっている。したがって、両者は英語にたびたび見られる二重語の例となる。 chamber(部屋、議場)とcamera(カメラ)が同じラテン語camera(丸天井の部屋)を語源とすることは、英語の歴史を知らない限りネイティヴ・スピーカーでも気が付かないだろう。前者は中英語期にフランス語を経由して英語に借用されたのに対して、後者は近代英語期にラテン語から直接入ってきた。英語のcamera(カメラ)とその語源であるラテン語のcamera(丸天井の部屋)とはどのような意味的なつながりがあるのだろうか。実は、英語のcameraはラテン語のcamera obscura(暗い[obscura]部屋)の後半部が省略された形である。camera obscuraは、暗室・箱の壁面に空いた小さな穴を通して外の景色などを反対側の壁面に映し出す装置で、現在のカメラの原型となったものである。 ラテン語は英語の綴 (つづ) り・発音にも影響を与えた。現代英語のdebt(借金)、doubt(疑う)では、bという文字がありながら発音されないが、その理由をご存知だろうか。(ちなみに、綴られていても発音されない文字を「黙字」<mute letter>という。)両語とも中英語期に古フランス語から借用されているが、当時の形はそれぞれdet(t)e, doute(n)であった。これらの語はラテン語まで遡 (さかのぼ) ると、それぞれdebitum, dubitareであり、bという文字を含む。古典語が重んじられた初期近代英語期になって、これらの語では本来のラテン語の綴りが正当と見なされたため、「語源的にあるべき」bが挿入された。一方、発音はほぼ中英語期のまま保たれたので、今日のような発音と綴りの間のずれが見られるのである。 近代英語期にはラテン語と並んで多くのギリシア語が英語に入ってきたが、その多くは学術用語であった。(ギリシア語は、しばしばフランス語やラテン語を介して借用される。)多くの学問名、たとえば、anthropology(文化人類学)、biology(生物学)、economics(経済学)、physics(物理学)などはギリシア語に由来する。 さて、16世紀半ばになると、大量の古典語の流入に対する批判がおこり、ラテン語・ギリシア語借用語を「インク壺 (つぼ) 臭い、学者ぶった言葉」(inkhorn terms)として排斥しようという「英語純正運動」が起った。そうした運動の急先鋒であったケンブリッジ大学のジョン・チーク教授(1514-57)は新約聖書翻訳の際も、英語本来語を用いることを推奨し、たとえば借用語のprophet(預言者)やparable(たとえ話、寓 <ぐう>話)を本来語のforesayerやbywordに置き換えている。なお、チーク教授は優れた古典語学者であり、借用語を擁護しても不思議でない立場にあっただけに、その態度は興味深い。 古典語隆盛の初期近代英語期を生きた劇作家ウィリアム・シェークスピア(1564-1616)は、とくにラテン語やギリシア語の素養はなく、同時代のある文人は彼を評して"little Latin, less Greek"(ラテン語はほとんど知らず、ギリシア語の知識はそれ以下)といっている。そのシェークスピアの作品に『恋の骨折り損』があるが、そこでは、ホロファニーズという教師がむやみやたらにラテン語をひけらかす様子がコミカルに描かれている。 (毎月第2週・第4週に掲載します) Asahi Weekly, September 24, 2006より
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