外国人にも「公正な裁判」を
言葉の壁・文化の差を超えて
日本司法通訳人協会会長・長尾ひろみさんに聞く
もし外国で逮捕され、取り調べを受け、法廷に立たされたら、誰もが司法通訳の存在の大きさを実感するだろう。ここ日本においても「公正な裁判を受ける権利」は、日本人と同様に外国人にもある。最高裁判所によると、1994年に通訳・翻訳人のついた被告人数(証人含む)は 5,331人だったのが、2004 年は 11,174 人と激増。司法通訳人の候補者数は、2005 年4月現在、全国で 3,772 人にのぼる。日本司法通訳人協会会長で、神戸女学院大学助教授の長尾ひろみさんもそのひとり。英語の司法通訳人として 20 年以上、第一線で働いてきた。司法通訳人を取り巻く現状と課題を聞いた。
メルボルン事件
豪メルボルンの空港で 1992 年6月17 日、日本人7人のツアー客のうち4人のスーツケースから合計約13 キロのヘロインが発見され、ツアーリーダーを含む5人が麻薬密輸容疑で現行犯逮捕された。5人は「途中で寄ったマレーシアのクアラルンプールで、現地ガイドに『荷物を盗まれた』と言われ、代わりにこのスーツケースを渡された。麻薬の存在は全く知らなかった」と一貫して無実を主張したが、裁判では認められず、ツアーリーダーは懲役 20 年、他の4人には懲役 15 年の罪が確定した。
98年、大阪の弁護士らでつくる弁護団が、尋問や裁判・弁護人との打ち合わせで、適切な通訳が付けられなかったことなどを理由として、豪政府を相手取り、国連の自由権規約委員会に個人通報して救済を求めた。2002年、4人が仮釈放され帰国したが、ひとりはいまだ服役中。
馬場由美子 朝日ウイークリー
----- 司法通訳人の資格制度はあるのですか?
「残念ながらまだありません。司法通訳を希望する人は、雇い主になる裁判所、地域の地裁に『私は司法通訳をしたい』と連絡します。語学力は自己申告で、試験などはありません。裁判官が面接をして、通訳人リストに『搭載』されます。以降、通訳者の予定などを加味して、裁判所から通訳の依頼を受け、あまり複雑でない事案から担当していきます」
----- 司法通訳人になったきっかけは?
「30 代のころ、司法通訳人だった友人が都合が悪くなり、代わりに大阪地裁で英語の通訳をしました。航空会社のパーサーが多額のダイヤを制服の下に隠し持っていた、という関税法違反の裁判です。被告人の横に座りました。彼の震えが、同じベンチに座っていた私にも伝わってきました。裁判が進んでいく中で、訳すことが少なすぎる。これだけでいいの? と感じました」
------ 裁判用語は特殊なものも多いですが
「『証拠請求します』という表現に『何それ?』って思ってしまって。『証拠としてこれを取り上げることを請求する』ということなのですが、日本語の法廷用語が理解できなかったのです。その後、事前準備のために、自分からいろいろ動きました。裁判所に許可をもらい、検察官や弁護士の元を訪ねて公判書類を読み込み、薬物の名前をメモしたりしました」
----- 司法通訳人の待遇は?
「決してペイが良いとは思いません。時給15,000円と聞くと『悪くはない』と感じますが、時給換算は公判時間によるもので、裁判所への往復の時間は入りませんし、事前に起訴状や準備書面、冒頭陳述書、証拠書類などに目を通しておく時間も含まれません。ちなみにドイツは door to door で時給 6,000 円です。
ただ通訳人の待遇が悪いとは、ひとえに言えないと思います。日本の裁判所や検察庁の、通訳人に対する working conditions は世界一だと思います。他の国では事前に書面は出ません。口述主義だからでしょうか」
----- その他の待遇改善は進みましたか?
「ここ10 年でかなり進みました。法廷内に通訳用のいすと机が置かれ、通訳人の法廷内の居場所ができました。
通訳の継続時間が1時間を超えると、休憩が入るようになりました。昔は3時間続けてやったこともあり、retention 能力が衰えて、へとへとになったものです。たとえ10 分でも、法廷の外に出て景色を見たりするとリフレッシュできます。通訳人は機械ではなく『疲れる人間』であることをわかってもらえるようになりました。
十数カ国語で司法通訳用のハンドブックができたことも大きいです」
●通訳人の資質
----- では、次の課題は?
「制度が整いつつある今、感じるのは、通訳人自身の資質の問題です。司法における通訳人の教育の場がなく、体系的に学ぶ教育システムもなく、プロフェッショナル化の制度も確立していません。でも、来日外国人が増え、犯罪が増え、いつか必ず法制化が必要になる時期がきます。その時までに経験やノウハウを積み重ねていくことが重要です」
----- 通訳人の資質次第で、冤罪もありうると
「メルボルン事件(メモ参照)をご存じですか? 日本人団体旅行者のカバンから大量のヘロインが見つかり、5人がオーストラリアで現行犯逮捕されました。しかし彼らはずっと無罪を主張し続けています。
この時の捜査段階での通訳がひどい。テープをおこしてみると、捜査官と通訳人のやりとりのうち、日本人に伝えられたのは一部分のみ。そして日本人があれこれ通訳に説明しても、通訳人が捜査官に英訳するのは、やはり一部のみ。それぞれの過程は通訳されておらず、結果的に誤訳につながり、彼らは収監されました。
司法通訳人はボランティアではなく、プロフェッショナルであるべき。一方で、司法通訳人希望者の語学レベルは、低いのが現状です。実際、TOEIC で 900 点以上のレベルがないと難しいです。
その点、米国はうまく制度化していると思います。難しい検定をパスした certified 、通訳などの経験をなんらかの形で認めた authorized、それより下の ad hoc とレベル分けして、ペイにも差をつけています。高いペイを目指すならより上の資格を、という状況ができてきているのです」
----- 司法通訳特有の技術はありますか?
「私は、話の筋道や表現が変だと思っても、そのまま訳すのが司法通訳の原則だと思っています。会議通訳は『要約する、わかりやすく整理して伝える』という技量を必要としますが、法廷での通訳は違います。被告が支離滅裂なことを言ったら、支離滅裂に訳す。時には意味をなさないこともあります。でも微妙なニュアンスが、裁判官の心証に影響することもあるのです」
●外国人の味方?
------ 心情的に外国人寄りになることは?
「司法通訳を買ってでる人には goodwill な性格が多い。被告人になびくこともあります。私も最初のうちはそうでした。弁護士と接見に行ったら、被告はわんわん泣いて『もう二度とやらない』などと言う。『かわいそうに』と思っていたら、後で弁護士から『ずいぶん余罪があるようだ』と言われたり。そういう犯罪のプロもいます。
自分の感情を入れ込む通訳人もいます。レイプ事件などでどぎつい表現が出てくると、『恥ずかしくて私にはとても訳せない』などと言う。でもそれは、そこに自分を置いているから恥ずかしいのです。司法通訳人は黒衣に徹しないと。人権擁護の advocacy ではないのです。公正な裁判を被告人が受ける、という権利を保障することが、司法通訳人の使命。あえていうなら、私たちは被告人の利益のために通訳をするのではなく、裁判所の利益=公正な裁判の実現、のために通訳するのだということです。
実際、私も、事件によっては涙が出そうになることもあります。23 年やってきましたが、現場では迷いばかり。でも『あのとき研修でやったことだ』と、自分の経験を思い出しています」
----- 聞けば聞くほど大変な職業。なぜ続けているのですか?
「だれかがこれをやらないとならない。
私自身も、司法通訳をやり始めて6年ごろに、本当にやめようかと思ったことがあります。『自分は人を裁く場でお金をもらっている。でも人を裁くことができるのは神だけではないのか』と。でも私がやめても、この状況は繰り返される。ならば私が担当する人には、できるだけわかる通訳をしてあげたいと。ハンドブックも何もない時代からやってきて、20 年ぐらい法廷に立って『ああ、できる』と感じてきました。私はここまでくるのに 20 年かかりましたが、条件が整ってきた今なら、5年に短縮できると」
----- 近い将来、一般の人々が裁判にかかわる「裁判員制度」が実施されます
「司法制度は刻々と変わっていきます。裁判員制度が導入されると、通訳人の言葉が、裁判官、検察官、弁護士といった法の世界の人たちだけでなく、一般の人の耳に入ることになります。より正確な通訳が求められます。司法通訳人の一人ひとりが、さらに勉強しなくてはと思います」
「通訳業務は外国人のライフライン」
司法・医療・行政通訳の連携を探る
司法・医療・行政の3分野の通訳者と専門家による「日本パブリックサービス通訳翻訳学会」が3月下旬、兵庫県西宮市で開かれた。司法通訳のセッションでは、ナイジェリア人による郵便局強盗傷害事件がケーススタディとして取り上げられ、実際に被告の弁護を担当した弁護士の池田崇志さんと、法廷通訳人の和田裕子さんが、法廷現場の実情を報告した。
ナイジェリアの公用語は、英語のほかに各民族の言葉があり、被告の母語もイボ語という民族の言葉だった。公判は、公用語とされる英語で進められたが、和田さんは「なまりがきつい。その上、欧州人と思考回路が違うのか、何が言いたいのか筋道が読めない場合があり、通訳する上で非常に苦労した」と語った。
強盗傷害の罪で逮捕・起訴されたものの、否認を続けるナイジェリア人被告をめぐる公判で「彼は共犯ではない、別の人間だ」とする同国人証人の陳述の中に、bag という単語が出てきた。彼は「盗んだ現金は何に入れて運ばれたのか」との問いに「(別の男が)盗んだお金を bag に入れて郵便局を出るところを見た」と証言した。
これを聞いた和田さんは、bagとはカバンのことと思い、そう訳した。しかし実際は、スーパーのレジ袋だった。弁護人の池田さんがその点に気づき、再度質問して訂正した。池田さんは「実況見分の写真にあったのはレジ袋であり、カバンはない。もしここでカバンと記録されていたなら、『証人はうそを言っている』として彼の信用性がなくなる可能性があった」と述べた。
通訳人からの問題提起として和田さんは「Anticipation(ある程度、先を見越すこと)をきかせてよいのか」ということを挙げた。「できるだけ先入観を持たないようにしているが、話の筋をある程度、頭の中で予想していかないと、なまりのある英語を通訳するのはきついものがある。いつも悩むところだ」と話した。
馬場由美子
日本パブリックサービス通訳翻訳学会は、通訳者の質の向上や、依頼する側の理解を深めるために設立された。通訳・翻訳問題を研究内容とし、年合計4回の勉強会、情報交換会を開いている。また英語だけでなく、中国語、ハングル、スペイン語、ポルトガル語などの他言語を大事にしているという。年会費 5,000 円。
問い合わせは、神戸女学院大学文学部・長尾研究室 (fax: 0798-51-8644) <psit2005@yahoo.co.jp> まで。
ホームページはhttp://psit.dip.jp/