大切な友達のために出来ること
常田麻ゆ子記者
1月に発売された『母さん、ぼくは生きてます』(マガジンハウス、1,100円)という1冊の本がある。そびえたつ山にかかる雲。飛び交う鳥たち。どこかほのぼのとした感じの表紙。でもよく下の方を見てみると、そこには荒廃した建物、戦車に兵士。被弾した人まで描かれていてドキっとする。この本の著者アリ・ジャンさんは、日本に夢を抱いてアフガニスタンからはるばるやって来た。彼はこの国に何を求めて、この国は何をしたのか、そして私たちは何をしなくてはいけないのか。この1冊にそのすべてが彼の言葉で語られている。アリ・ジャンさんご本人にお話をうかがった。
そこに立っているのは、ちょっぴり背が高くて笑顔がさわやかな好青年。昨年も皆勤賞をもらった学校に毎日通い、またも皆勤賞をもらえそうな勢いのいたってまじめな中学生だ。彼の名前はアリ・ジャン。その柔和な笑顔を見ていると「普通のひとりの男の子」という印象を受ける。ところがこれまで、「外的な要因」のために彼から笑顔が消えてしまうことが幾度となくあった。祖国アフガニスタンで。さらに、この「平和な国」日本においても。
1982年にアフガニスタン北部のパルワン州ヒンズクーシ山脈のふもとダレイ・トルクマンで生まれる。山と山に囲まれた渓谷の村で5人兄弟の末っ子として育ったアリ・ジャンさんは、何より川で遊ぶことが好きだったという。「きれいな所です」と本にも収録された村の写真を楽しそうに見せてくれるアリ・ジャンさんは、10歳の時にお父さんの仕事都合でカブールに引っ越しをしたが、この緑に囲まれた村が「ふるさと」だと教えてくれた。
日本人にも間違えられることもあるというアリ・ジャンさんはモンゴル系民族のハザラ人。人種と宗派の違いから特にひどい迫害を受けてきた民族だ。アリ・ジャンさんが18歳の時、父と兄がタリバンに捕らえられた。残った息子を心配する母親は自分が病弱だったにも関わらず一大決心をした。息子を国外へ、日本へ逃がすため数百ドルを手渡した。命がけで隣国パキスタンに渡ったアリ・ジャンさんは「(お母さんたちとの別れは)本当に悲しかったけれど、状況がよくなれば帰国出来ると思っていた」という。ところが戦況は悪化するばかり。そこで母の希望でもあった日本に行く決意をした。
「実際に日本人を見たことはなかったけれど、アフガニスタンではたくさんの日本人がボランティアとかで働いてくれていることは知っていて。国民は親切だと聞いていました」というアリ・ジャンさん。選択肢としてはアメリカやヨーロッパもあったが、「『世界で一番平和な国』に行きたくて日本にしました」
「勉強するんだ」という強い意気込みと希望を抱き、たどりついた平和な日本の玄関口、成田で、パスポートをブローカーに持ち逃げされてしまったアリ・ジャンさんはそのまま空港内の不法入国者や不法滞在者収容所に収容され、1週間後には茨城県牛久市の「東日本入国管理センター」に連れて行かれた。そこは在日外国人には「牢屋」と呼ばれているところだった。いつ解放になるかもわからない、言葉も通じない、人種も文化も違う人たちと1日20時間も同じ部屋で過ごさなければならない。「人生最大の試練」と本にも記したアリ・ジャンさんはここで7カ月も過ごすことになる。
2001年9月11日も、その後のアメリカによるアフガニスタン報復も、その「牢屋」の中のテレビを通して知った。10年間も住んでいたカブール、残してきた家族や友人を思うその時の彼の心…きっと私たちの想像をはるかに超えたものだったに違いない。
その1カ月後追い討ちをかけるように彼に渡された1通の書類。「難民認定却下」と「強制退去」を告げる味気ない文字が躍る無機質な書類。彼はサインを断り、また「牢屋」へと舞い戻った。
1951年の「難民の地位に関する条約」に日本も加わったのは81年。これによると、「人種、宗教、国籍、特定の社会的集団に属すること、政治的意見」を理由に、迫害を受ける恐れがあって自国を離れた人を「難民」としている。締約国は迫害の恐れがある本国へ送還してはいけない。さらに福祉などで自国民と同じ待遇を与える義務があるとうたわれている。
9.11が起こり、日本にいるアフガニスタン人が何人も拘束され、大問題となると同時に、アリ・ジャンさんのように迫害を逃れてやってきた人たちの存在が知られるようになり、アフガン難民支援の弁護士団が結成された。「牢屋」の外でこの人たちが彼を助け出すために昼夜を問わず働いていることはアリ・ジャンさんは後になって知ったという。しかもこの頃、不安にさいなまれ、精神的にも追い詰められていた彼は2回の自殺未遂を起こした。ほかの収容者も同じような精神状態に陥り、同じ行動に出る人もいた。アリ・ジャンさんによると、アフガニスタンには自殺なんて本来はないらしい。そんな国から来た人たちをそこまで追い詰める日本という国を情けなく思うと同時に、今、ここで彼に会えることは、彼自身の強さと、周りの支えが計り知れずあったのだろう。
楽しい学校生活
心ある弁護士、裁判官の働きで「仮放免」になったのは2002年3月のことだった。彼の日本に来た目的=「勉強すること」。その思いは、東京都墨田区の文花中学校の夜間学級で実現することとなり、4月から勉強をスタートした。そこには90歳すぎの韓国人をはじめ、中国人、タイ人などいろんな人がいた。先生もやさしかった。再収容の危機がその後も訪れた時には、支援団に加え、クラスメートたちからのはげましに元気づけられたという。しかし、再収容のゴタゴタはまた彼の心を痛めつけた。学校になかなか行かず家にひきこもっていることが多くなった。それでも先生の優しい言葉をきっかけに、2002年の3学期からはまた元気に学校に通い始め、見事終業式に校長先生から「皆勤賞」を受け取った。「初めてうれしい紙をもらいました」というアリ・ジャンさんは、今学期も皆勤賞に向けてがんばっている。
授業は毎晩5時すぎから始まる。日本語、国語、算数、パソコンなどの授業の中でも、地理の授業が大好きだと言う。「名前だけ知っていてもどこにあるか知らない国ばっかりだったし。日本もどこにあるかわからなかった。もっと大きな国のイメージがあったんだけど」と笑う。体育の授業やスポーツも大好きでバレーボール大会で準優勝した話や、都内夜間中学の大会で1,500メートル走を1位と3秒差の5分40秒で走った話などをうれしそうに話してくれた。
ひとり暮らしのため、初めての自炊も体験。野菜を使った料理など、簡単なものは作れるようになった。「大変だけどね、しょうがないでしょ。ほかに作ってくれる人いないから。彼女もいないし・・・」。前に新聞に掲載された写真を見て「かっこいいじゃない。アリ人気あるんだよ」と言われたこともあるというが、「自分のことはわからないでしょ。どこに人気があるの?わからないよ」と照れて笑う。
今回のこの本が出来るきっかけとなったのは、支援してくれる弁護士のひとり土井佳苗さんが、アリ・ジャンとJICA(国際協力機構)の当時「社会人一年生」(現在2年目)数名と、歌人の田中章義さんを引き合わせてくれて、みんなで温泉に行ったこと。(ちなみに、東京に住むアリ・ジャンさんは東京を出る時には毎回申請書を提出しないと行けない)。「国際協力をするためにJICAに入ったのに、毎日のデスクワークである意味ストレスがたまっていたんですよ」と語るのはJICAの若松英治さん。アリ・ジャンさんの話を聞いて自分たちから紹介して欲しいと土井さんに頼んだ。温泉で意気投合し、田中さんの「アリくんが自分で語った本を出しては」という提案からスタートした。
毎週若松さんがアリ・ジャンさんの言葉を聞き取りまとめた。JICAの仕事としてではなく、ボランティアで。というより、困っている友人を助けるために。「アリ・ジャンの話を聞いていると一緒につらくなってきて。一緒にインタビューを受けても自分の事のように苦しくなってくる」と若松さんは言うが、「つらいことをたくさん書かなくちゃいけないけれど、楽しいこともないと。でも、楽しいことばかりではダメ」と、書く内容に注意したとアリ・ジャンさんは言う。確かに、目を疑いたくなるような言葉の途中にたしかに思わず微笑んだり、笑い出してしてしまう部分もある。
例えば、英語が大好きで英会話の塾にも通っていたアリ・ジャンさんがアフガニスタン国内で2度しか会ったことのない「白人」に声をかけたけど、緊張してしまった話。友達の「まいちゃん」の家に招待され、いっちょうらのスーツで出かけていった話。アリ・ジャンさんの人柄がぼくとつとしたソフトな言葉じりからあふれ出ている。
英語は英字新聞を辞書を引きながら自分で覚えたというが、収容所にいた一番辛いときの日記は英語で書かれていたため、若松さんが本にまとめる時に楽だったと言う。
アリ・ジャンさんを支援する輪は自然に広がっていく。昨年はタレントの島田紳助さんの呼びかけにより、応援チャリティーオークションが楽天の協力でネット上で行われた。これは、今中学2年生のアリ・ジャンさんの「高校に行きたい」という思いを少しでも支援しようというもの。「紳助さんはどんなことをしても笑わないけど、いい人だよ」と笑うアリ・ジャンさん。彼の携帯の待ち受け画面は窪塚洋介さんとツーショットの写真、ほかにもたくさんの「有名人」との写真が携帯に入っていた。「すごいね、みんながうらやましがるね」と言うと、「そうなの、ホントに?」とビックリしていた。彼にとってはみんながやさしい友達のひとりなのだろう。
「何も聞かないまま収容されたり、日本が嫌いになったことがないとは言えない。でも、日本の人たちは、聞いていた通りのやさしい人たちだった。日本に来てよかったかどうかはよくわからない。でも、友達はたくさん出来た」。これが今の彼の素直な気持ちだ。
アリ・ジャンさんから見せてもらった外国人登録証には、「在留資格なし」と書かれている。「登録」しているのに「在留資格なし」とは、矛盾ではないのか? 今「仮放免」という立場のアリ・ジャンさんは毎月入管事務所に出頭しなくてはならない。4月以降には、処遇についての判決が言い渡されることになっている。若松さんは、「国が助けてくれなくても「民意」が助けてくれると思っているし、信じています」と話す。
そんな不安定な日々を過ごす彼に、最近ビッグニュースが飛び込んできた。アフガニスタンでJICAカブール事務所スタッフがお母さんを見つけてくれたという。今後、彼のもとにはこんなハッピーなニュースだけが届くことを祈りたい。
81年の条約終結から2002年までに日本では2,782人が難民申請して、認められたのはわずか305人。2002年の難民認定者は14人。ちなみに、アメリカやドイツでは1年に2万人以上の難民を受け入れている。難民支援は「海の向こう」だけの問題ではない。
| ◆ がんばれアリジャン ◆ |
Ali Jane Project (www.alijane.org)
彼の元気な姿が「アルバム」に多数掲載。最新ニュースや日記帳、「本の感想文」が投稿される「けいじばん」も。アリ・ジャンさんが高校に行くための資金集め&彼の周りの難民支援のための募金も募っている。振込先:みずほ銀行 新宿南口支店 普通1584933 アリ応援事務局JI−ONE |
着物のチャリティー・バザー
着物をバックやカードにリサイクルして販売し、「難民を助ける会」の活動を支援するショップ「夢うさぎ」のことは以前紹介したが、「小物にせずに出来ればそのまま着て欲しい」という提供者の意を組んで、昨年末に着物チャリティー・バザーを行った。今回はその第2弾。約2,000着の着物、帯などを1,000〜5,000円で発売する。収益は「難民を助ける会」の活動を通じて、アフガニスタンやアンゴラなどの対人地雷対策などの活動に使われる。370本の梅の木がある東京・池上公園に隣接した実相寺(東京都大田区池上2-10-17)で行われるので、お花見がてらいかが? 日時:2月28、29日。11時〜15時。問い合わせ:難民を助ける会 Tel. 03-5420-0808 |
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