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イタリア映画の記憶の旅
岡本太郎 |
20世紀末から21世紀にかけて驚くべき蘇生を果たしたイタリア映画は、地方を、とりわけ南部を再発見し、物語の核となる風景をとり戻し、それぞれの映像言語による個性的な語りを復活させた。ロッセリーニ以来のネオリアリズモを継承する者、フェリーニの創造力と詩情を受け継ぐ者、パゾリーニの実験的精神を授かった者、アントニオーニの形而上学を彷彿とさせ、ロージの洞察力と緻密な構成力を……いや、彼らは何よりも自分自身だった。ウィンスピアであり、マッツァクラーティであり、ソルディーニであり、アルキブージであり、マルトーネであり、ガッローネであり、ベキス自身なのだ。
新生イタリア映画の活力は伝播し、若い作家たちだけでなく、不幸にしてイタリア映画不在の年代の煽りで本来の力を100パーセント発揮できずにいたマルコ・ベロッキオのような鬼才や、ジュゼッペ・ピッチョーニやマルコ・トゥリオ・ジョルダーナのような少し遅れてきた名匠にも傑作と活躍の場を与えた。
というのが昨年までのイタリア映画祭のあらすじだが、今回はそうした新旧の作家たちの優れた新作はもちろん、彼ら自身が、ほぼ四半世紀に渡ったイタリア映画の空白のページをふり返り、たどり直し、再考を試みるきわめて興味深い作品との出会いも用意された。ベロッキオやジョルダーナ、そして出身は異なるにせよマルコ・ベキスも、思想が文化を凌駕していた世代の熱い魂を探ってゆくことで、新世紀のイタリアのみならず、世界の精神的危機を感じさせる映画を完成させた。あるいは過去は、ミケーレ・プラチド描く悲劇の詩人ディーノ・カンパーナの狂おしい愛の軌跡であり、チプリ&マレスコがこの上なく奇天烈なカリカチュアで騙るシチリア映画史であり、フェルザン・オズペテクによるノスタルジックなほどのメロドラマである。そして、より内面的な、心の中の時間を繊細で豊かな筆致で紡いだウィンスピアの奇跡の物語でもある。
それは観る者の意識に深く入ってゆき、揺るがせてくれる記憶の旅だ。 |
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