南禅寺展 アサヒコム
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トピックス

【展覧会の構成と主な出品作品】

亀山法皇坐像

1. 巨刹の始まり〜亀山法皇と無関普門

 亀山法皇(1249〜1305)は、文永元年(1264)に東山の麓に禅林寺殿という離宮を建てた。その後退位して院政を行 った後、正応2年(1289)に出家し、同4年にはこの離宮を禅寺に改め、東福寺の住持であった無関普門(むかんふもん)を開山に招いた。これが南禅寺の始まりにあたる。次いで二世の住持に任命された規庵祖円(きあんそえん)が、伽藍の建立整備に尽力した。

 ここでは、これら3人の姿をあらわす彫刻や絵画、その筆跡、所用の袈裟(けさ)などを展示する。さらに南禅寺草創の歴史を明らかにする文書や記録をあわせて並べる。

渓陰小築図

2. 繁栄の軌跡 〜名僧たちの営為

 鎌倉時代から室町時代にわたって南禅寺は禅宗寺院として最高の寺格を時の権力者から与えられ、住持はその時々の名僧がこれを務めた。歴代住持の中には、一山一寧(いっさんいちねい)や義堂周信(ぎどうしゅうしん)のように五山における文学・芸術の隆盛に大きな影響を与えた禅僧が多い。ここではこの時期の住持の肖像や古文書等によって、名僧たちの活躍の跡をたどるとともに、かれらの文芸方面での活動を、詩画軸と呼ばれる絵画作品等によってあとづける。詩画軸は多数の漢詩文が書き込まれた絵画のことで、南禅寺は詩画軸流行の中心であった。

秋景・冬景山水図

3. 信仰と風雅 ? 伝世する至宝?

 中世に全盛期を迎える南禅寺以下の五山の禅院には、日明貿易を通じてすぐれた中国の美術工芸品が集積されたが、そのほとんどは戦乱・火災により失われた。しかしながら江戸時代初めに復興した南禅寺には、近世におけるその地位を反映して、宋画の傑作「秋景・冬景山水図」(国宝、金地院)のような中国渡来の良質な唐物(からもの)が伝来し、また画僧祥啓(しょうけい)の「達磨図(だるまず)」(重文)など、中世の水墨画にもみるべきものがある。また高麗(こうらい)や北宋(ほくそう)から将来された経典(きょうてん)もきわめて貴重なものである。

南禅寺本坊大方丈障壁画

4. 蘇る南禅寺

 南禅寺は、応仁の乱の戦場となり、伽藍・塔頭のすべてを兵火により焼失した。豊臣秀吉の信任をえた玄圃霊三(げんぽれいさん)のもとで本格的な再興が始まり、徳川幕府の政治・外交の中枢に関わって後に「黒衣の宰相」と呼ばれる以心崇伝(いしんすうでん)によって、慶長年間以降、法堂(はっとう)、方丈そして三門など主要伽藍(がらん)の多くが復興再建された。
 このコーナーでは、慶長16年(1611)に新上東門院(しんじょうとうもんいん)の御所を移築して再建された大方丈(おおほうじょう)の襖絵を中心として、中興開山と称される以心崇伝をはじめ、南禅寺の復興再建に関わり深い人々のゆかりの品を加えて展示する。

南禅寺本坊小方丈障壁画

5. 新たな装い〜 寺を彩る

 南禅寺は、桃山時代に狩野派によって描かれた大方丈の障壁画以外にも多くの近世障屏画(しょうへいが)があることで知られている。このコーナーでは、桃山時代の狩野派・長谷川派による屏風に、「水呑みの虎」としてよく知られている狩野探幽筆と伝えられる小方丈(こほうじょう)の「群虎図襖」、天授庵の長谷川等伯筆の襖絵、さらに近年、もと塔頭(たっちゅう)帰雲院の障壁画であったことが確認された円山応挙の作品などを加えて南禅寺を荘厳(しょうごん)した近世美術の一端を紹介する。

2004年4月6日(火)〜5月16日(日)
京都国立博物館(東山七条)


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