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他人思いやる熱き心、パリ ファッションデザイナー・芦田淳

2008年8月26日

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写真 あしだ・じゅん 30年生まれ。ファッションブランド「ジュン・アシダ」を率いる。皇室、各国大使、政財界の顧客も多い。写真は林正樹撮影

 初めてパリ・コレクションに参加したのが、77年。それまでの10年間、美智子さま(現皇后陛下)の専任デザイナーを務めていて、そろそろ自分の力で世界に打って出たいという野心がわいてきましてね。美智子さまも、伸び伸びやりなさいと背中を押して下さいました。地元のフィガロ紙に「日本の皇室から飛び出してきたデザイナー」などと大きく報道されたものです。

 ショーにはデヴィ夫人やモデルの松本弘子さん、デザイナーの森英恵さんらもいらした。作品は、日本の紋をワッペン風にしたり、金の飾りひもをつけたり。もうやみくもでしたから、今思えば、見当違いやオーバーなところもございました。けれども、受注もけっこう入りまして。

 とはいえ、パリ・コレは、べらぼうにお金がかかった。スタッフ一族郎党の旅行費や会場費、モデル代。4回やってみたけれど、費用や労力の割には利益が出ない。ショーよりもパリに店を出して、存在をフランス人に直接知ってもらう方が賢いと判断しました。でも当時は、散髪してると「ジャポネがいる」と窓に鈴なりになって見物されたような時代。ぽっと出の日本人がいい物件を見つけられるわけがなかった。

 「すごい出物があるのよ、今からすぐに来て」とパリのフランス人の知人から電話が突然きたのは、それから10年くらい後。高級ブティック街フォーブル・サントノーレ通りの、しかもエルメス本店の数軒隣という夢のような立地。賃貸条件も悪くなかった。ジャパンマネーの威力だとか羨望(せんぼう)まじりの憶測をいろいろされましたが、事情はまるで違います。知人というのはフィガロ紙の女性記者。親しいデザイナーがたくさんいるのに、なぜ私に?と聞くと「だって、あなたは私のために泣いてくれた唯一の人だもの」という。

 彼女とはパリの日本大使館で開かれたパーティーで知り合ったんです。たまたま隣に座って、私が「生き生きとして明るくてすてきですね」とお世辞を言ったのですが、実はついこの間に最愛の夫を亡くして本当はとても暗い気持ちなのよ、と打ち明けてくれた。クリスマスと新年という最も幸せな時なのに、と思うとぽろぽろ涙が出てきた。そしたら彼女も我慢ができなくなって、みんなが振り返るほどの声で、わっと泣き出してしまった。

 その後、奮発してパリの中心部にアパルトマンを買って住みました。建物は4人のメードさん付きだったんですが、人さまに洋服をすすめるなら豪華な家に住むのも授業料のひとつと思ったのです。

 彼女らはいつも快活で働き者でしたが、ある時、彼女らの屋根裏部屋に行ってびっくり。まるで独房みたいに粗末で悲惨だった。私はすっかり落ち込んでしまったのですが、彼女らは「私たちみたいな人間に家族的な接し方をしてくれて、いつも喜んでいる」と逆に慰めてくれた。

 フランス人は冷淡だとかとっつきにくいとかいわれるけれど、人の気持ちを思う心は実は日本の昔の下町みたいに熱い。信じあえば、喜びも悲しみも共有できる。そういう思いで服を作っていこう、そんなデザイナーとしての原点を確立できたのは、こういうパリでの経験からでした。

   ◇

 自らを厳しく律しながら、人をよく笑わせる抜群のサービス精神の持ち主だ。どんな人に対しても態度を変えない。エレガントな正統派スタイルの服に、人を思う熱い心が潜んでいる。(編集委員・高橋牧子)

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